東京オリンピックと外国人
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昨19日、ブラジルのリオデジャネイロでパラリンピック閉会式が行われ、2020年へのバトンが東京に渡された。旗を渡された小池百合子知事は、私が暮らす街の首長だけに、しっかりとその姿を見せてもらった。
事故で足を失ったダンサーや、目が不自由な人たちが舞台でパフォーマンスを繰り広げ、クールトーキョーが演出される。それはそれで心動かされるものだった。どれどけの資金を費やしたのだろう…クールとはスタイリッシュ? 東京は好きな街だが、近年は外国人に冷たい都市としか思えない。4年後の開催を素直に喜べないまま、テレビのスイッチを切った。
オリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的志向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、
国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない (オリンピック憲章より)
このオリンピック憲章の精神とはあまりにかけ離れた東京…。
東京都は、石原知事(当時)時代の10年度から、都内10校の朝鮮学校への「私立外国人学校教育運営費補助金」を止めている。
児童生徒一人あたり年額1万5000円が支給されるこの補助金制度は、1995年から設けられた。都内にある多くの外国人学校を支援するためのもので、日本籍者と同様、都民である外国人の教育を支援しようと続けられている。
石原元知事は10年8月、都議会で予算承認されていた朝鮮学校への補助金を見直す意向を突如示し、その意向に沿う形で朝鮮学校だけをはずすよう要綱を改悪した。
さらに猪瀬都知事時の13年11月には、「朝鮮学校調査報告書」なるものを作成、学校と民族団体との関係が問題があるかのように決めつけ、都のHPにアップした。「報告書」で指摘された財産の管理・運営面での課題について、学園側が改善策を講じた後も、その事実については触れないまま2年3ヵ月間、ネット上に古いままの内容を掲載し、朝鮮学校への偏見を煽り続けた。
都が「ホームページをリニューアルするから」と「調査報告書」をHPから取り下げたのは今年2月。取り下げの理由も釈然としないが、9月2日にそれを再掲載した。
なぜ?となるだろう。
東京朝鮮学園の金順彦会長らは8日、「報告書」の取り下げと、不当に停止されている補助金の再交付を求める要請を行った。
金理事長は、「都は、民族教育を行う朝鮮学校の自主性や建学の趣旨を理解し尊重すべきだ。各種学校独自の教育内容、ましてや民族団体との関係を理由に補助制度から除外しようとするのはおかしい。他の外国人学校と同様に扱わないのは差別ではないか」と述べた。
同席した理事も、「外国人排斥やヘイトスピーチが止まない異様な状況の中で、行政が誤った情報を再掲示、発信するのは問題だ。朝鮮学校の子どもたちが悪影響を受ける。都はどう責任を取るのか」と訴えていた。補助金再開の訴えは7年近く続いている。日本人支援者たちも声を挙げているが、都議会や都民の反応は正直、鈍い。
応対した吉原宏幸・東京都生活文化局私学部私学行政課課長は、「小池都知事から住民への情報公開という意味でもしっかり載せるべきとの指示があった」と返答。「報告書は平成25年11月時点の情報だ」という一点張りで、最後まで報告書を取り下げる姿勢は見せなかった。
一方、吉原課長は、「政治的なことがあると思う」と、日本と朝鮮民主主義人民共和国の関係の悪化が一因であるのではと話していた。
まことしやかに朝鮮学校への「制裁」の理由として言われることだが、子どもには何の関係もない。各種学校である朝鮮学校を指導するのは都の仕事だが、教育内容や民族団体との関係について、指導する権限は持たないし、法を逸脱している。補助金停止は、朝鮮学校だけを狙い撃ちにした、行政によるれっきとした、いじめ、差別なのだ。
小池都知事が掲げるスマートシティ、ダイバーシティ、都民ファーストの掛け声の中に外国人のフレーズは出てこない。
私たちの存在は、目に見えているのだろうか。東京都に暮らす外国人の数は40万6000人、都民の3%に達する。(瑛)