久しぶりの出張
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久しぶりに東海地方に出張に出かけた。一件目の取材は、同胞介護の現場。イオの10月号で80、90代の一世同胞が一人暮らしをしながら介護サービスを受けている現状を取材したが、その続きになるものだ。
一言で同胞介護の現場の課題は山積していると感じた。まず、日本政府の年金差別により、無年金に置かれている人たちがさらに年を重ねている現実。介護保険料をどこから、どのようにねん出するかーまずそこから考えなくてはならない。さらに介護に費やされる国の財政がますます減っているという現実。それらを踏まえ、次号は介護する側からの視点で、よりよい介護のためには何が必要かを探る。
50代からNPO「コリアンネットあいち」が運営する「いこいのマダン」でヘルパーを始め、今はケアマネージャーの仕事をしている60代女性に話を聞いた。いやはや、これからの若い人たちは、自分の生活を切り盛りするのも大変なのに、親の介護をみるのは本当に大変だとろうとの話だった。これからは認知症を患う人が増えるので、家族の変化に気づいたら、まずは、地域の包括支援センターに相談するように、と勧められた。
午後は、特集の取材で、ユニークな子育て雑誌編集長に2時間ほど話を聞いた。
40年間、小学校の教員をしながら、雑誌の編集長を務め、地元で子育て相談や講演、執筆活動と精力的に活動されている方だ。とにかく話がおもしろく、取材以外にも自身の子育て相談にも乗ってもらった。
定年を迎えた今も午前中は授業を持ち、午後は地域でフリースクールの運営に携わっているという。
最後は「読者へ会いに」の取材で春日井へ。春日井駅を過ぎると、車窓から9月25日に70周年行事を大盛況に終えた東春朝鮮初級学校が見え、思わず立ち上がってしまった。「学校に行きたかった」と思いながら隣駅の神領へ。いつも商工会からイオを届けてもらっているという61歳のCさんが素敵な喫茶店に連れていってくれ、イオについてざっくばらんに感想を聞かせてくれた。
…金すんらさんのエッセイでは、本名について悩んだことが書かれていたね。今も朝鮮の名前で仕事を探すのは難しいし、今回、再就職先を探す時も、朝鮮学校の学歴は書かなかった、書けなかった…とCさんは話していた。
結婚を機に東京から春日井に来て約40年。Cさんの話からは、地元の朝鮮学校に3人の子どもを通わせ、姑の介護と一生懸命に生きて来た年月が目に浮かぶようだった。
「イオには海外で頑張っている若い子たちがたくさん紹介されているね。私たちの時代は朝鮮大学校に進学するか、朝銀に就職するしか道がなかったけど、本当に選択肢が広がっていい時代になった」と話す。
「読者へ会いに」の取材は、若い記者がおもに担当してきたが、これからも機を見て読者に会いにいきたいと思った。やっぱり読者と話すとトンポたちの暮らしが見えるし、今、どんなことに興味があるのかを、はっきりと刻むことができる。
Cさんは老後が心配だと話していた。「これは思いもよらなかったことだけど、現実に直面してみて、働く場が限られること、いつまで健康でいられるかという不安が押しよせる」と…。子どもたちには迷惑をかけたくないという。
話の流れのなかで、老後の生活を考えるうえで、3月号の年金の特別企画がためになったと話してくれた。
「友だちにも、これ読んでみれば、と勧められるページがあればいいんだけど」。この一言も印象深かった。読者あってのイオ。一人ひとりの心にズンと来る企画を打ち出したいと思った。
久々に緊張と興奮が入り混じった取材の時間だった。
読者と現場を支える人たちに感謝。(瑛)