大学生の前で
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先日、イオ編集部のお世話になっているC先生からの依頼で都内の大学で話をしてきた。
2006年にイオ編集部で出版した「日本の中の外国人学校」や朝鮮学校について話をしてほしいとのこと、100枚近くの写真をスライドで見せながら、外国人学校で学ぶ子どもたちの様子や保護者の思いを伝えた。人前で話すことは、正直苦手だが、外国人学校が身近にない人に少しでも知ってもらえればと思い…。
とくに意識したのは高校無償化のこと。聴衆の大学生と同じ年頃の朝鮮高校生たちが、就職や進学にハンディがあることを恐れず、原告に加わり、裁判を闘っていることを知ってほしかったし、親の色々な都合で日本に暮らすことになったネパールや南米の子どもたちが4畳半の狭い部屋で毎日毎日勉強していて、運動場すらない環境の中で育っていることも、知ってほしかった。もちろん、これが決して不幸なことではなく、日本学校に通うより、ベストな選択ではないか、ということも。
私は小学校から大学まで朝鮮学校に通った者。聞いている学生の多くは、日本で生まれ育ち、日本の学校に通った人。海外で暮らした経験を持つ子は、外国人学校へのイメージが違うはず。とにかく、日本で「北朝鮮=朝鮮学校」のメディア戦略が功を奏するなか、そこでイメージが止まっている人が大多数だろう…色々なことを思いながら原稿を準備した。
伝わったか、伝わらなかったかは、正直わからない。話し終えた後、一人の女子学生が「高校無償化裁判の情報は、どこを見たらわかるのですか?」と聞いてくれた。11月号のイオの「裁判記」を見てほしいと伝え、イオを渡す。その姿に、1年前の寒い日、文部科学省前の金曜行動に来ていた中学生を思いだした。
講演前に学生たちへの問いを2つ準備してほしい、といわれ、その問いへの書きこみを見る。ある男子学生の感想(下記)が印象深く、帰り道に何度も思い返す。
「…自分のルーツを知ることは寄り所、自分を認識するために必要なことだと思う。それを奪われる意識を持つ現状があるというのは、とても恐ろしい。いつまで奪う存在でいればいいのかと感じた。差別をする国が行う教育の中で、差別をちゃんと考えられる人が育つのか、とても疑問だ」
機会を与えてくれたC先生に感謝。(瑛)