ハルモニと紡績工場
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「こっくりさん」、「大学時代にやった二人芝居」、「新宿駅の地下道に精通しており同級生から『もぐら』というあだ名で呼ばれていたこと」、「ギターとうろこ雲」、「霊感のある友達」、「仙台での大乱闘」、「体育の先生」、「大塚駅での二人暮らし」…etc. これは、私の両親の青春時代のエピソードたちだ。何度も聞いてきた話もあれば、実はあまり具体的な内容は知らないものもある。
自分の両親の昔の話というのは面白くて、この他にも記憶に残っている話はたくさんあるのだが、そういえば祖父母の話はほとんど知らないということに先日、気がついた。たまたま父方のハルモニの弟さんとお話しする機会があった時、「ヌナ(姉さん)は紡績工場で働いていて…」という言葉を聞いて驚いた。
取材の中でだけ聞いていた「紡績工場」。自分のハルモニもそこに従事していたのか…。今まで見えていなかったハルモニの苦労の片鱗を初めて見た気がした。考えてみれば当たり前のことなのに、在日朝鮮人の歴史と身内の自分史が重なるということを今さらながら実感した。植物や畑の作物を育てるのが好きで、よく食べて、カラオケがうまくて、高齢になっても実家のお店を手伝っている、私が知っているハルモニがハルモニのすべてだと思っていた。そんな単純な自分にもびっくりした。
生まれはどこか、10代の時期をどこで過ごしたのか、仕事は何をしたのか、ハラボジとはどこで出会ったのか…。母方も含め、これから少しずつハルモニの昔の話を聞いていこうと思う。残念ながらハラボジは二人とも亡くなっているので直接に話を聞くことは叶わないが、ハルモニを通して、その人となりや歩んできた道を知りたい。聞きためた話をいつか小さな冊子にまとめてプレゼントしたら喜ぶだろうか。(理)