日本社会と朝鮮学校子どもたちの美術作品
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年末の26、27日に安倍首相が任期末期のオバマ大統領とハワイの真珠湾にあるアリゾナ記念館を訪れて、戦没者を慰霊すると発表された。オバマが広島を訪問したことのお返しなのだろうか。
真珠湾に行くことに関しては、勝手にすれば、と思う。
1945年8月以前に、日本が侵略して植民地支配し、虐殺、強奪、強姦とありとあらゆる悪事を、朝鮮をはじめアジア各国のありとあらゆる場所で、はたらいた。しかし、例えば、日本の首相は南京大虐殺の地を一度も訪問していない。真珠湾に行くのはどうでもいいが、同じように日本の国家犯罪の傷跡が残るアジアの各地を回って心から謝罪すべきだ。
しかし日本は、例えば日本軍「慰安婦」制度という犯罪を告発する「少女像」の撤去を執拗に要求している。日本国内でも教科書から国家犯罪の記述がなくなり、各地にある告発し反省するための碑や説明板などをなくそうという動きが相次いでいる。
先日、在日朝鮮美術展の東京展(11月30日~12月4日、目黒区美術館)を見にいった。絵に関しては専門的に何もわからないが、初級部から高級部へと順に展示されている作品を見ると、気になることがあった。
年齢が低い子どもたちの作品は無邪気でのびのびと学校生活などを描いたものが多いのに、年齢が上がるにつれ変化し、高級部生徒になると、純粋な「絵」はほとんどない。
先に書いた日本社会の問題点や世界の矛盾、朝鮮人として生きるうえで感じる圧迫や苦しさ、逆に朝鮮人として生きることの決意や喜び…、何かを懸命に訴えている作品がほとんどだ。悪く言えば子どもらしさがなくわかりづらいのだが、この日本で懸命に生きていることが伝わってくる。
そんな作品を子どもたちに描かせることが、心苦しくなった。(k)