論理的で緻密な問い、「矛盾」あばく 東京無償化裁判、文科省への証人尋問
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東京朝鮮中高級学校の62人の生徒が就学支援金の支給を求めた東京無償化裁判第12回口頭弁論が12月13日、東京地裁で行われ、文部科学省職員への証人尋問が行われた。
2013年から各地で始まった無償化裁判は他にも大阪、愛知、広島、九州で進行中だが、文科省役人への尋問が行われたのは初めて。原告弁護団は、朝鮮高校を就学支援金の対象とするための根拠規定だった規定ハを削除した違法性について、問いただした。
裁判で国側は、朝鮮高校が「規程13条に適合するに認められなかった」ため、不指定にしたと主張している。
尋問に立った喜田村洋一弁護団長は、自民党が2012年12月16日に衆議院選挙で大勝し政権をとった後、26日に就任した下村博文文部科学大臣が28日の記者会見で拉致問題の未解決や朝鮮学校と総聯との関係を理由に朝高を不指定にすると発言(別項)しているにも関わらず、裁判では「規程13条」違反の疑いを主張している「矛盾」について問いただした。
※2012年12月28日の下村博文文部科学大臣の記者会見(抜粋)
「朝鮮学校については拉致問題の進展がないこと、朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること等から、現時点での指定には国民の理解が得られず、不指定の方向で手続を進めたい旨を提案したところ、総理からもその方向でしっかり進めていただきたい旨の御指示がございました」(文部科学省HPから)
証人に立ったのは、不指定時に文科省初等中等教育局主任視学官だった望月禎証人と、修学支援室係長だった中村真太郎証人。提訴時の14年2月に高2、高3だった東京朝高生2人も無償化から外された不条理を吐露し、原告側からは朝鮮高校を紹介するDVDが提出された。
喜田村弁護団長は、民主党(当時)時代の政府統一見解(外交上の配慮により判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものである)を想起させたうえで、朝鮮学校を指定するかどうかを決める審査会の結果を待たずして、省令改悪を断行した経緯を確認。望月証人の指示のもと、中村証人が27日に省令改定案を作り、28日にはパブリックコメントの募集をホームページ上にアップした経緯を確認した。
望月証人は「4000億円という大きな税金を使うので国民の理解を得なければならない。大臣はできる限り国民の目線で発言したと思う」と言い訳したが、最後まで文科大臣の発言を「朝高不指定の理由」と認めることなく、苦し紛れの答弁を繰り返した。
「省令ハを削除するというのは、朝鮮高校を不指定にすることだけでなく、未来永劫に指定を受けられないということ。今後、(外国人学校の中から)ハの規定に基づく申請があった場合、ハの復活を求めなくてはならない。国民の理解を得られないからハを廃止するというのは、文科省の考え方だったのか―」。喜田村弁護士の緻密な質問が文科省を追い詰めた。しかし、望月証人がこの問いに「はい」と答えることはない。首を縦にふれば政治的、外交的な理由で朝高生を差別したこととなり、違法になるからだ。
おさらいをすると、文科省は、就学支援金を受けられる外国人学校をイ、ロ、ハの3つの分類に定め、イ、ロにあてはまらない外国人学校生徒を就学支援金の対象に含めるため2010年11月5日、「ハの規定に基づく指定に関する規程」を公布。その指定の基準及び手続きを定め、朝鮮高校10校は申請を済ませた。しかし国は、11月24日に延坪島事件を理由に指定手続きを停止。翌11年8月に審査を再開したあとも遅々として審査結果を出さなかった。喜田村団長は、文科省が審査会の結論が出ていないにも関わらず、不指定の結論を出したことも追及。「省令改訂を前に審査会に督促や質問はしたのか。ハを削除することが、上位法の委任の趣旨に反するかどうかという検討もしていない」と行政庁として責任を放棄した問題点も追及した。
尋問を通じて、望月証人が朝高不指定の方向性を受けた後、下村大臣に対して、①引き続き審査を続ける②不指定とする③不指定にしたうえで、ハを削除する―の3案を示し、文科大臣が③を選んだ経緯も明らかにされた。
両人への2時間の尋問を通じて、朝鮮学校を外すために省令ハが削除され、朝高生に就学支援金支給の道が塞がれたことが明らかになった。つまり、「規程13条に認めるに至らなかった」という国の説明がうそだということが、文科省役人の口を通じて浮かびあがったのだ。この意義は小さくない。
13時半に始まった裁判が終わったのは16時半。19時からは文京区内で報告集会が行われた。
この日の裁判で傍聴人たちの胸を打ったのは勇気をふりしぼって法廷に立った原告二人の証人尋問だった。2番目に証言した元生徒は、「無償化を求める署名を駅で集めていたとき、罵声を吐かれ、頭の中が真っ白になったことがある。普通の高校生活を送れるような社会にしてほしい」と伝えていた。
尋問の際、笑顔を交えながら、話を引き出していた松原拓郎弁護士は、「部活の朝練から始まり、夜遅くに家に帰り…。裁判官には、朝高に通う生身の姿をわかってほしかった。無償化差別に巻き込まれた生徒の痛みを感じてほしかった」と報告集会で語っていた。本当にその通りだと思う。
報告集会では、朝高生たちを傍で支えてきた3人の先生方が壇上に立ったが、普段から生徒たちを間近で見ているだけあって、先生方の話は具体的で、胸を打つものだった。
文慶華教員は、「2010年に高3の生徒を担当したが、生徒たちはアボジ、オモニたちが楽になると目を輝かせていた。しかし、審査が凍結されたまま卒業していった生徒たちは、絶望、悲しみ、怒りを抱きながら卒業していった。11年8月に審査が再開されたときにある卒業生から『先生、よかったですね』と電話をもらった時、彼らは体は卒業したが心は卒業できていないと感じた。この子たちのために、私も闘わなければと思う」とまっすぐに語っていた。
初の証人尋問ということで、各地から弁護団や原告代表が集結。報告集会では、大阪弁護団の丹羽雅雄弁護団長、広島朝鮮学園の金英雄校長、九州無償化弁護団の金敏寛、朴憲浩弁護士たちから力強い発言が続いた。
次回13回口頭弁論は来年4月11日、14時から。東京無償化裁判は結審を迎える。(瑛)