日本人のオモニの話を聞いて
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先日、イオの読者を訪ねる取材で、朝鮮学校に子どもを通わせる日本人のオモニ(母親)にお会いした。
そこで、どうして朝鮮学校に入れたか、また実際にどんな経験や不安、出会いがあったかなど、いろいろとお話を聞かせてもらった。
朝鮮学校で学んだ経験がないのはもちろん、在日のコミュニティに知り合いはいない。さらに、そのオモニを悩ませるのは自分と夫がウリマル(朝鮮語)をできないことだった。
夫も日本の学校を卒業したためウリマルは学んでおらず、家で子どもの宿題を手伝ってあげられないという。他の子どもたちとの家庭環境の差を一番心配されていた。また、今後中級部・高級部と新しい環境になったときの不安も尽きない…。
そんな中で、宿題プリントの裏には必ず日本語訳をつけてくれるなど、細かいところまで一つひとつサポートしてくれる学校の先生には感謝しかないという。気兼ねなく明るく接してくれる他のオモニたちの存在も大きい。
子どもが通う学校は私の母校でもあったため、当時と今では学校がどのように違うかなど話は尽きず、雑談を含めいつの間にか3時間以上が経過していた。
朝鮮学校にも日本人や外国人の保護者がいることはよく聞いてはいたが、直接会って話を聞く機会がこれまでなく、私にとっては気付かされることが多い取材だった。
同じ学校に通わせていても持っている背景などはそれぞれにある。もちろん朝鮮学校出身同士だから共感できることもあるが、「あたりまえ」にとらわれずいろいろな視点を想像できるかどうかが大切になってくると思う。
これからも「ウリハッキョ」が、人と人をつなぎ、温かく包み込んでくれる場所であってほしい。
同じ地域の方なので、今後会う機会にまたお話を聞かせてもらいたい。(S)