お葬式あれこれ
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「いちばん悲しいはずの人が、いちばん忙しいお葬式は悲しい。」
これは、愛媛県松山市を拠点とする村田葬儀社が創業90周年を迎えたことを機に出した広告のコピーだ。数年前、ウェハラボジ(母方の祖父)が亡くなった後にたまたまSNSかなにかで目にした時、お葬式でのオモニの姿と重なった。葬儀屋さんとのやり取り、お金の管理、お通夜の日に出す料理やお酒の準備、その他にもたくさんの気と労力を遣って、実際にその期間は悲しむ間もなかったと思う。
私が高2か高3の時、コモブ(従姉兄の父)が急病で亡くなった。私と弟は、北海道初中高がある札幌から急きょバスで実家に帰り、そこからまた家族みんなで仙台に向かった。
学校でさんざん泣いたあと、バスに揺られながら「本当に急だな」と感じた。どこにいても、すぐにみんなが駆けつける。そしてふと、「お葬式割」みたいなものがあればいいのに、と思った。飛行機の「旅割」や「直前割」みたいな感じで、お葬式に参加するために予約もなにもしないまま急いでやってきた人のために、それを考慮して交通費を少し割り引いてくれるような制度。今これを書きながらもなんか変なことを考えていたなと思うのだが、このことを妙に覚えていて、お葬式の度になんとなく思い出す。
他にも妙に忘れられない話がある。これもコモブのお葬式でのことだったか。お通夜のあと、親戚みんなで夜ご飯を食べている時。普段あまり会うことのない親戚の話を聞いた。
「私のコモがね、むかし焼肉屋をやってたんだけど、ある時バイトの子と言い争いになったんだって。給料を上げるとか上げないとかで。そしたらバイトの子がなにを考えたか、近くにあった包丁を手に取っちゃったらしいのよ。それでコモも包丁を持ったんだけど、自分は逆手持ちにしたんだって」「…ん? 逆手持ち?」「うん。そのまま持つんじゃなくて、こう包丁をひっくり返して持つの。その方が力が入りやすいし、事件を起こしたら刑が重くなるんだって」「え! そうなんだ」「バイトの子もそれを見て、コモの覚悟というか本気さを感じたんじゃない? 『…すみません』と言って包丁を置いて帰っていったんだって」―。
なぜだかわからないが、この話がとても印象に残っている。高校生ながらに、その話から「人生の深さ」のようなものを感じた。
お通夜が終わったあと、みんなで夜ご飯を食べている時間はとても不思議な空間だ。その日の悲しみは一旦落ち着いて、笑い話や世間話が飛び交う。普段感じられない雰囲気の中で聞いたことや考えたことだから頭に残っているのだろうか。もちろん、家族と親族、知人などで気持ちはまた変わってくるだろうけども。
そういえば、「お葬式」というタイトルの映画もあって、あれは喜劇だった。最近たまたま読んだ『婚礼、葬礼、その他』という小説でも、お葬式の場面にはある種の可笑しさがあった。お葬式は、一番「人間」が表れる部分なのかもしれない。その表れ方というのも、むき出しなのかもしれない。だから通常はしない話が飛び出たり、ある人の意外な一面を目にしたりするのかもしれない。
昨日(愛)さんも書いていたが、月刊イオでは「エンディング」特集の準備を始めている。葬儀の仕方やお墓事情など参考になる情報を載せつつも、お葬式の場での人間模様やそこでの経験、感じたことなど一人ひとりのエピソードも聞いてみたい。(理)
良しとしよう
毎回、愉しく読んでおります。さて葬式のことですが、人それぞれ死に方に違いがあって一概には言えませんが、人生を全うされた方への感謝と労いのまつりごととも考えられます。哀しみにうちしがれているよりは、バタバタと事務的に忙しいことはある意味残されたものへの心の準備をつくってくれているのかもしれません。三人を見送った者の経験からですが。
Unknown
>逆手持ち
ここで(理)さんが言っているのは、「刃を上に向けて包丁を握る」ということですかね?
私の理解がそれで正しければ、ふつうに刃を下向きにして包丁を握るより実際に殺傷力高いんです。
大ざっぱに言うと、立った姿勢で攻撃対象を刃物で刺すと、そのエネルギーは「上」に向かおうとするので、刃が上向きだとそのまま「切り裂く」力として働き、より相手に致命傷を与えられるんだそうです(ただし、自分の手もケガする可能性が高い)。
ちなみに、○クザ屋さんが殺意を持ってドスで人を刺す(腰だめに構えて、柄の後部を片方の手の掌で支える)ときも、しばしば刃は上に向けて持ちますよ ^^;)
あと、「刃物の持ち方」そのもので量刑が左右されるということはないようです。○クザ屋さんの場合は知りませんけどw
で、なんだかぶっそうな話ばかりではナンだなということで(オタの性分ですスミマセン)。
「コモブ=従姉兄の父」というのは、より正確には「父方の叔母のダンナさん」の意味ですよね。まあ父方/母方をハッキリさせる以外、意味的には大して変わりないんですけど。
私自身が「コモブ」と呼ばれているオッサンですから、そのへんどうも過剰反応してしまったということで失礼を〜。
ヨシダトラジロウさま
コメントをありがとうございます!
「人生を全うされた方への感謝と労いのまつりごと」…そのような考え方もいいですね。
心の準備、オモニもそうだったかもしれないです。
オモニは、親族がお酒を飲みながら色々な話に興じている中、ハラボジが安置されている部屋の線香が消えないように1人で寝ずの番をしていました。
私は朝起きてそれを知った時、「一番忙しかったのに線香番までさせてしまった」と呑気に寝ていた自分を反省したのですが、もしかしたらオモニはその1人の時間にやっと少し落ち着いて、翌朝からまた忙しくなるまでのあいだ、悲しみと向き合っていたのかもしれません。
オタトンポさま
コメントをコマッスンミダ!
そうです、その握り方です。実際に殺傷力が高いんですね…。
エネルギーの向かい方からその道の人の仕事の流儀、ひいては量刑のことまで教えてくださりありがとうございます(笑)。
コモブの解説も付け足してくださりコマッスンミダ。
そうです! 父の妹の夫になる方でした。
私が小さい頃、仙台の書店で『あいうえおうさま』という絵本を買ってもらったことを覚えています。
昔から大好きなこの本は未だに実家にあって、帰省するとたまに開いて見ています。
私も今日、お葬式でした
私も今日、お葬式でした。祖父の妹さんです。97歳!長生きハゴシッポヨ。
佐藤天啓さま
コメントをコマッスンミダ。
昨日お葬式だったんですか。ご愁傷さまでした。
97歳は長生きされましたね。
健康で長生きしたいですね。