朝鮮学校の子どもたちが作る五・七・五
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身体を壊してから飲み歩くことも少なく、家にいてテレビを見る時間も増えた。たまに見ているテレビ番組の一つに芸能人が俳句を作って、それにランクをつけて講評する番組がある。芸能人はいろんなことをやらされて大変だなと思う。
前回のブログでも紹介したが、月刊イオの4月号が完成した(4月号はちょうど通巻250号に当たる)。4月号の特別企画は「私が詠う五・七・五」。同胞らが作った俳句や川柳、短歌を紹介した。朝鮮学校の日本語の授業でそれらを作る内容があるようで、児童・生徒の作品もけっこう紹介することができた。
雑誌編集という仕事を長年やってきたので、一般の人たちよりも文章を書くことは多いのだと思う。取材をして原稿を書く、というのが生活のパターンとなってきた。しかし、俳句や川柳、短歌は一度も作ったことがない。詩も小説も書いたことがない。ずっと日本の学校に通ったが、授業で作ったこともない。
経験もないし、作ってみようと思ったこともない。イオの創刊当時、「キムチ殺人事件」という推理小説を載せればどうかという企画を出したことがあって、一瞬、書いてみるかと考えたこともあったが、書けるはずもなく、あいまいになって消滅してしまった。
記事はいやと言うほど書いてきたのに文学作品はまったく書いていない。その理由は、根本的には才能がまったくないということだが、くだらない「プライド」が自分自身にあって、それがブレーキになっているのだということはわかっている。
最初に書いたテレビ番組。講評する先生がテレビ的にキャラが立っていて、なかなか魅力的だ。その先生の人生を紹介した番組も見たことがあるが、他人の子どもを家で世話したりと、感心させられた。芸能人が作った俳句を添削するのだが、それが説得力がありそれにも感心させられた。簡単にやっているようだが、芸能人の作品をみて、添削のために何時間も努力しているのだろうと思わされる。
子どもの頃に学校の授業の一環として、俳句や川柳、短歌や詩、小説などを作ってみるのは良いことだと思う。朝鮮学校に通う子どもたちの作品は、民族教育を受けているからこその内容はもちろんあるのだが、思った以上に子どもらしい作品があって楽しめた。
誌面で紹介した作品の一つに次のようなものがあった。
「やめてくれ/差別や暴力/冷たい目/ひとりひとりが/作る平和よ」
子どもたちがこのような内容の作品を作らなくても良い社会に、一日も早くなるように努力しなければと思う。(k)