「日本の右傾化」とは何なのか、その実態に迫る
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3月15日に筑摩書房より発行された新刊『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著)を読んでいる。出版直後に出張先の書店で購入して、数日前から読み始めた。全体の三分の一強しか読み進めていないのだが、非常に面白い。
本書はどんな本なのか、以下に帯文を引用する。
ヘイトスピーチ、改憲潮流、日本会議……。現代日本の「右傾化」を、ジャーナリストから研究者まで第一級の書き手が総力を上げて検証。もっとも包括的な「右傾化」研究の誕生!
日本の右傾化が進んでいると言われて久しいが、本書ではその全体像を明らかにすべく、学者、研究者、ジャーナリストら21人の書き手が「社会」「政治と市民」「国家と教育」「家族と女性」「言論と報道」「宗教」の6つの分野でそれぞれ実態を明らかにしている。
まだ半分も読んでいないので、本書で展開されている具体的な内容について論じたり、書評めいたものを書くのは現時点では控えたいが、本エントリでは本書のタイトルにもある「右傾化」という言葉や本書の「方法論」について思ったことをいくつか書きたい。
編著者の塚田氏が本書で指摘しているように、「右傾化」は「安倍政権」「日本会議」「憲法改正」「安保法制」「愛国心」「慰安婦問題」「ヘイトスピーチ」などのトピックとしばしば結びつけられながら、さまざまな報道や書籍、ウェブ情報のなかで論じられてきている。もちろん、日本社会をめぐる言論の中で「右傾化」という言葉が使われるのは今回が初めてではなく、以前より多用されてきた。少なくとも、私が高校生だった1990年代初めにはすでに使われていたと記憶している。
個人的な見解だが、書き手や編集サイドとして、「右傾化」という言葉は非常に「便利」なのだ。であるがゆえに、多用され、日本の政治や社会状況を批判的に分析するうえである種の「マジックワード」となった感がある。私もこれまで少なからず使ってきた。しかし、「日本の右傾化」とは何なのか、その実態を分析することは簡単ではない。そもそも、「右傾化」という言葉をちゃんと定義して使っているのか―。そう問われると、途端に言葉に詰まる。近年は、そんなキャッチーであるがゆえに手垢のついた「右傾化」というワードを安易に使わないよう自分を戒めてきた。それは何より、「右傾化」という言葉を個別具体的な文脈を離れて漠然と使うことは、何か言っているように見えて、その実、何も言っていないように思えたからだ。なので、本書出版の報に初めて接した時、このご時勢に「右傾化」をタイトルとして前面に押し出し、「徹底検証」と銘打っていることに対して、非常に挑戦的な本だという印象を持った。
現在の日本社会で進行中の事態を表す言葉として「右傾化」が適切だとしても、その内実は複雑で、多面的だ。では、それらにアプローチするためにはどうすればいいのか―。塚田氏は本書の前書きで次のように述べている。「多面的な対象に迫るには多角的に検討すればよい。『日本の右傾化』と大きく括られているそれを、いったん限られたテーマに分解・細分化する。それぞれの領域の専門家が自身のフィールドについて、信頼できるデータと資料を駆使しながら検証し、それを幾重にも重ね合わせる。その作業が必要であり、本書が目指すのはそれである」。
「日本の右傾化」という一見ばく然としていて捉えどころのないように見えるテーマに挑むうえで、本書のこのような手法は功を奏しているように思う。6部21章、400ページというボリュームを1800円(税別)で購入できるのもありがたい。(相)