地域交流の意味を履き違えた千葉市の補助金交付取り消し決定
広告
既報のように、千葉市は4月27日、千葉朝鮮初中級学校の地域交流事業に支出する補助金について、昨年度分の約50万円の交付決定を取り消すと発表した。同校が昨年12月に主催した美術展で日本軍「慰安婦」問題に関する2015年12月28日の日韓合意を否定する表現物が掲示されたり、今年2月の芸術発表会で朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者を賞賛する曲が歌われたりしたことが問題視された。
千葉朝鮮初中級学校の教職員や保護者、支援者、地域の在日コリアンからは市のこの決定に対して怒りの声が沸き起こっている。私が普段利用しているSNS上でも同様に千葉市の決定に疑問の声が上がっている。筆者自身も、同校卒業生として、そして昨年まで約30年にわたって千葉市民だった人間として同じ気持ちだ。今回の決定は不当極まりないもので、市が交付取りやめの根拠としている千葉市外国人学校地域交流事業補助金交付要綱(以下、「要綱」と表記)の内容に照らしても妥当とは言えない。
本エントリでは、上に挙げた2つの行事の中でも最も問題となっている美術展に焦点をしぼって、この間に取材した内容も盛り込んで市側の決定の不当性を見ていきたい。
①
まず、問題となった美術展とそこで掲示された絵画作品がどのようなものだったのか説明する。
美術展の正式名称は「ウリハッキョと千葉のともだち展」。地元の千葉朝鮮初中級学校を含めた朝鮮学校と地域の日本学校に通う児童・生徒たちの作品を展示する美術展だ。日本各地の朝鮮学校の児童・生徒たちを対象に行われている在日朝鮮学生美術展(以下、学美展と表記)の巡回展と合わせて2014年から開催されている。
第3回展は昨年12月6日から11日まで千葉市美術館の市民ギャラリーで開かれた。期間中の来場者は641人。そのうち380人が日本人で、そのほかに千葉朝鮮初中級学校の児童・生徒、保護者や在日同胞などだ。同校児童・生徒の作品199点に加えて、近隣の日本学校5校から220点、そして学美展の作品625点を合わせて、会場には1000点を超える作品が展示された。以下、参考までに「朝鮮新報」の記事のURLを貼り付けておく。
http://chosonsinbo.com/jp/2016/12/1208kyj/
美術を通して朝鮮学校の存在を地域の人々に知ってもらいたい―そんな思いから始まったともだち展は地域交流を深める場となっている。美術展の開催に先立って千葉朝鮮初中級学校の生徒たちが地域の日本学校を訪ね、双方の文化的アイテムを使った作品を作ったり、日本人書家を学校に招いて作品を共同制作したり。双方の生徒たちに共通のテーマで絵を描いてもらい、それを展示し、それぞれの作品についてプレゼンしたり、互いにリクエストを出し合ってイラストを描いたり。初日のオープニングセレモニーでは花見川区長のあいさつや児童、生徒たちによる歌や楽器演奏、ゲストミュージシャンのコンサートなどが行われた。最終日には朝鮮学校の児童・生徒、日本の大学生、一般来場者も参加するギャラリートークが行われた。単に朝・日双方の作品を展示するだけにとどまらない交流イベントだということがわかるだろう。
千葉市や大学、町内会、マスメディアも含めて多くの後援もつき、2014年の第1回から「千葉市外国人学校地域交流事業」に認定され、毎年50万円ほどの補助金が学校に支給されていた。学校側はこの3年間、趣向を凝らした企画を立案し、美術展を地域交流にふさわしい行事としてアップデートしてきた。それは「毎回欠かさず視察に来ていた市の職員の方々が誰よりもよく知ってるはず」と同校の金有燮校長は話す。当然ながら2016年分についても支給されると考えていた。しかし―。
②
このような行事の実態を知れば、今回の市側の決定がいかに無茶苦茶なものかがわかる。市側は、イベント全体の趣旨や地域交流事業としての実態ではなく、1000点を超える展示作品の中のいち作品にクレームをつけて、それを不交付の理由とした。
筆者の手元には、先月27日、市から学校側に渡された千葉市外国人学校交流事業補助金交付決定取消通知書のコピーがある。同通知書は、要綱に基づく補助金の交付対象となる事業は、「外国人学校が実施する学校行事のうち、児童及び生徒の地域住民との交流に資するものであって、要綱第3条各号のいずれにも該当していることが必要である」としている。その要綱第3条各号を以下に引用する。
(1)地域住民に広く周知され、その参加を促していること。
(2)児童又は生徒が音楽、舞踊、演劇、伝統芸能その他の芸術及び芸能を実演又は展示し、これを地域住民が鑑賞する機会が設けられていること。
(3)営利を目的とするものでないこと。
(4)政治的目的を有するものでないこと。
(5)宗教的目的を有するものでないこと。
(6)その他市長が適当でないと認めるものでないこと。
美術展が補助金交付の要件に適合するか千葉市職員が会場でイベントの実施状況を確認したところ、従軍慰安婦をテーマとした絵に掲出されていた解説文に日本国民の多数の認識とかなりの乖離がある表現が含まれており、このような表現が含まれている解説を掲出することは地域住民との交流にはふさわしくないし、「市長が適当でないと認めるものでないこと」(要綱第3条第6号)の要件にも該当せず、要綱第3条に定める補助対象事業として促進すべき地域交流事業とするのは適当でないと言わざるを得ないとしている。これが市側が説明する不交付の理由だ。
なぜ「日本国民の多数の認識とかなりの乖離がある表現」が含まれている表現物を掲出すると「地域住民との交流に資する」ことが困難になるのか。問題となった作品は、日本軍「慰安婦」問題をテーマにした絵画作品で、某朝鮮高級学校に通う生徒が作者だ。学美展に出品され、金賞を受賞した。かなりサイズが大きい作品のため巡回が難しいなどの理由から、現物のかわりにコンパクトなサイズのパネルにして展示された。絵には創作のコンセプトや作品を説明した解説文が朝鮮語と日本語の両方でついている。今回、市側は絵それ自体より、日本語の解説文を問題視したようだ。400字あまりの文章で、要旨以下のような内容となっている。
当時二十歳にも満たない少女たちが従軍慰安婦にされた。少女たちは性的暴行を受けて、朝鮮人としての、女性としての尊厳を奪われた。2015年12月28日の日本と韓国の合意は、問題が「最終的且つ不可逆的に」解決したと宣言して、当時の日本軍の戦争犯罪を追及することが今後できなくなってしまった。私は、被害者達の尊厳はどうなるのかと憤りを感じた。日本政府が全ての犠牲者に法的効力を持つ謝罪と賠償をして、全ての人々の尊厳が尊重される社会を作り上げることが今を生きる我々の責任である。
作者の名前や作品、解説文全文をここで紹介はしない(本人や学校側の掲載許可が取れれば紹介することもやぶさかではない)。ちなみに『週刊金曜日』1126号(2017年3月3日発行)に本作に関する記事が載っており、作品に込めた作者の思いをうかがい知ることができる。単なる日韓合意に対する異議申し立てにとどまらない作品コンセプトの射程の長さがわかるはずだ。
件の解説文は、一部に言葉足らずだったり、誤解を招く表現や意味の通らない言い回しが見受けられる。しかしそれは瑣末な問題にすぎない。一部の表現が稚拙であったとしても、作者が言いたかった本質の部分は何ら非難されるいわれはない。私は作者の生徒が解説文に書いた見解を支持するし、何より当該生徒が朝鮮半島と日本の間の歴史、虐げられた女性の人権といった問題に真正面から向き合い、自分なりに表現したことは素晴らしいし、誇るべきことだと思う。
千葉市長は27日の記者会見で、絵画展が地域交流事業の目的に反すると判断した理由について「日韓合意を否定するような説明がなされているので地域交流事業の趣旨に明確に反する」と答えた後、「地域と交流して仲良くしようと言っているのに、相手の政府のやっていることを批判する人はいない」と発言している。唖然とした。失礼ながら、市長は民間交流の意味をご存じないのであろうか。外国人学校の地域交流事業に関して、居住国政府の政策や見解に異を唱えない表現に限って公金を支出する事業として認めるというのであれば、それはあまりにも横暴で地方自治体の首長としてあるまじき態度ではないか。
学校支援団体である「千葉ハッキョの会」代表の廣瀬理夫弁護士は、「互いの文化や考えを尊重する、異文化を知る、それらが生まれた歴史を知り、認め合いながら、共生の道を探る、これこそが交流事業の大きな目的。日本政府の見解と違うことを表現すれば地域交流にはなじまないという論理がまかり通れば地域交流にならない」とのべている。
そもそも民族的マイノリティとして居住国社会や母国の問題について表現しようとすれば、その表現が「政治性」を帯びるのはある意味当然だろう。生徒の自主的な表現に対して行政の側が補助金を持ち出して介入、抑圧する。なんともおぞましい。問題の「日韓合意」については、日本国内外から少なからず異論や不満が表明されている。市長自身の判断を「日本国民」などの表現で全体の判断にすりかえるのは果たして正しいのか。
③
もう一点。千葉市は「地域住民との交流に資するもの」の根拠として、要綱第3条4号の「政治的目的を有するものでないこと」を挙げている。件の従軍慰安婦の絵および解説文は表現の自由で保障されているが、政治的目的を有しているので、そのような表現物を掲示している美術展は地方自治体が税金を投入する地域交流事業としてはふさわしくないという論理だ。一見もっともらしく聞こえるが、ここにも論理のすり替えが潜んでいる。
この「政治的目的を有するもの」というのは、交流事業それ自体の性格についてだと判断するのが妥当ではないか。補助金交付の対象となる事業が「政治的目的を有するもの」であるということと、今回の美術展のように、数ある作品の中に政治的テーマや主張が含まれた作品も掲示されていたということは明確に区別すべきだろう。
ある事業が「政治的目的を有するもの」であるとは、美術展を例に挙げれば、特定のテーマ(たとえば「日韓合意反対」)を行事の趣旨や目的として掲げて、それに合致する作品を集中的に展示したり、その主張と関連するような出し物を企画したりするようなイベントを指すと理解できる。確かにそのようなものであれば、(行事のテーマに対する賛否は別として)公金を支出する外国人学校の地域交流事業として不適切だと判断することは理解できる。しかし、今回の美術展はそのような政治的目的を有していたわけではない。件の作品も美術展全体のテーマを象徴するような作品ではなく、数ある作品のうちのいち展示物に過ぎない。今回の美術展は学校の児童・生徒たちによる多種多様なテーマ、表現手法の作品を展示し、朝鮮学校について広く知ってもらう、美術を媒介に地域との交流を深めることを目的にした催しなのだ。
実態はこうなのだが、市にとって件の生徒の絵は補助金の交付を取り消し、さらに次回以降の交付についても否定的になるほどの重大事案だったようだ。尋常ではない熱意(あるいは敵意とも取れるような何か)を感じる。仮に差別表現や名誉毀損、プライバシーの侵害など公衆良俗に反する表現があった場合でも、指導すればいいことだ。事前の話し合いもなく問答無用で支給決定を取り消すのは乱暴ではないだろうか。
この交流事業に関しては、補助金交付が不当だとして市民団体が市に対して住民監査請求をしたり、裁判を起こしたり、議会の右派勢力が攻撃したり、それを産経新聞が積極的に報じたりするなど風当たりが強かった。さらに昨年には文科省の「3.29通知」もあった。「千葉ハッキョの会」によると、美術展の件の絵についてはこれまでの市との交渉の中で一言も触れられず、寝耳に水だったという。なぜ千葉市はこのような稚拙なロジックで性急に決定を下したのか。何らかの裏事情があると勘繰りたくもなる。
****************************
補助金交付取り消し2日後の4月29日、千葉朝鮮初中級学校では、千葉市の決定に抗議し、撤回を求める緊急集会が開かれた。
金有燮校長が集まった人々の前でマイクを握った。
「生徒が書いた一枚の絵が国の方針とは違うからといって補助をしないという。そもそも朝鮮学校と『日韓合意』に何の関係があるというのか。子どもの表現の自由でさえ、市では補助金をぶら下げれば制限できると考えているのか。…戦時中に性奴隷となり尊厳を踏みにじられた朝鮮の女性たちがいた、そのような過去を直視することは、今の若者たちにとって必ず必要な事だと思う。…互いに違うからこそ交流の意味があり、違いからこそ学び合うことができる。私たちが真に望むのは、地域交流費としてのお金50万円などではなく、日本が過去に行った植民地政策の結果として今ここにある、朝鮮学校の存在の意味を日本政府や地方自治体が真に理解し、その教育を保障することだ」(相)