石川県知事の恐ろしい発言
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メディアの報道によると、石川県の谷本正憲知事が21日、金沢市内で開かれた県町長会の総会で、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)による弾道ロケット発射実験に関し、「兵糧攻めにして北朝鮮の国民を餓死させなければならない」と発言した。
この発言は、会合の出席者を通じて明らかになったものだが、「北朝鮮のミサイル発射」を想定して県が予定している訓練に関して、出席者から「(県内にある)北陸電力志賀原発が狙われたら」と問われ、こう話したという。知事は会合後も、「北朝鮮のやり方は暴挙を超えている」、「(北朝鮮の)国民が痛みを感じる制裁をしなければ意味がない」などとのべ、発言を撤回していない。
これは、「物議を醸す」どころではない、大変問題のある発言だ。国会での全会一致のお墨付きを得て対朝鮮制裁を続けている国の政治家の発言としては特段珍しいものではないが、「大したことではない」とスルーしていい発言ではない。
知事は「(制裁強化により)同国民が目覚め『間違ったリーダーを抱えている』と理解させないといけない」と説明しているが、これは隣国の人民を見下す傲慢な物言いだろう。
さらに知事は、「なぜわれわれが避難訓練までしないといけないのか」とのべたという。最近、秋田、山形など各地で「弾道ミサイル攻撃への対備」を目的とした住民避難訓練が続いている。「X国が弾道ミサイルを発射した」との想定(X国が朝鮮を指していることは明らかだ)で、住民が近隣の公民館や学校などの建物に避難したり、草むらの中で頭を抱えてしゃがんだりする姿がテレビや新聞で報じられた。今後は民放でCMが流され、新聞にも政府広報が掲載されることになっている。これが、弾道ミサイルから身を守る訓練としては滑稽極まりないものであることは一目瞭然だが、このおよそ意味があるとは思えない避難訓練や危機を過剰に煽る行政の対応やメディアの報道によって、隣国およびその人民に対する敵愾心が育てられ、排外主義が煽られる。
歴史的経緯や構造的要因を一顧だにせず、制裁という懲罰の論理で圧力をかけることによってのみ「北朝鮮問題」に対応しようとする日本政府。いたずらに危機を煽るその先には何があるのか―。 共謀罪法案の成立など昨今の動きをみると、恐ろしくなってくる。(相)
Unknown
時事通信の報道によると、この発言は県内町長らとの会合で
「年内にも行う県内でのミサイル発射想定訓練をめぐる意見交換の際」
に出たとのことですね。
http://news.livedoor.com/article/detail/13234023/
この4月の朝鮮半島の緊張時に政府・マスメディアがさんざんバラまいた「北はいつ日本を核攻撃するかわからない」というデマゴギーが、すっかり発想の前提になっているのでしょう(石川県は志方原発を抱えてもいますし)。
とはいえ公の場で、朝鮮の国民が餓死してでも「殺られるくらいなら殺れ」と言い放ったも同然なのですから、自治体の長の発言としてやはり常軌を逸しているし、極めて軽率と評するほかはありませんね。ここまでくると単なるヒステリーですから。
さらに「なぜわれわれが避難訓練までしないといけないのか」と逆ギレのご様子ですが、朝鮮がこの半世紀というもの、日・米・韓による軍事的プレッシャーが絶えない中で同様の「避難訓練」を行なってきたであろうことに、蚊ほどの想像力もめぐらないようであるのがまた悲しい。
谷本知事は京大卒、旧内務省の流れを汲む自治省(現総務省)官僚出身の政治家だそうです。
御年72歳ですが、すでに「戦争を知らない世代」(1945年生まれ)に属しているというところも、こういう不用意な発言を平気で口にしてしまう「戦後エリート」的脆弱さを感じずにはいられませんね。
Unknown
ブラウ様、コメントありがとうございます。「政府・マスメディアがさんざんバラまいた『北はいつ日本を核攻撃するかわからない』というデマゴギーが、すっかり発想の前提になっているのでしょう」、まさにその通りだと思います。原発を抱える地方自治体の首長という点を最大限考慮しても、常軌を逸した軽率かつ酷い発言であることは間違いないですね。
抗議しました
とんでもない大暴言です。人権無視・殺人教唆に相当します。抗議の電話とメールを送りました。翌日、撤回したのですが、国民が生活に困るぐらいの制裁強化と、内部から体制崩壊を、などと大暴言を2つも追加されました。また電話とメールで抗議しました。個人資質も問題がありますが、日刊イオさんが描いておられる政府・マスコミ上げてのデマ宣伝の産物です。民族差別撤廃・日朝友好・国交樹立へ一層、運動を強めなければと考えます。
Unknown
古賀様、コメントありがとうございます。知事は結局発言を撤回しましたが、反省の心から出た行動ではないでしょうね。県に抗議の電話とメールを送ったとのこと、古賀様の地道な活動に頭が下がる思いです。