アイヌ女性の話を聞いて
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現在、在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会が連続講座「だれいき!マイノリティ女性からみる日本社会~アイヌ、琉球・沖縄、部落、在日朝鮮人~」を開いています。
6月29日に第2回講座があり、そこでアイヌ女性である宇梶静江さんのお話を聞くことができました。
当日のようすが「だれいき」のウェブサイトで紹介されています。
http://dareiki.org/2017/07/04/wkdareiki2017-2/
また、この日参考資料として配られた宇梶さんのインタビューがネットで見られるので、これも是非読んでください。
壮絶な差別と、これまで宇梶さんがどのように生きて闘ってこられたかが伝わってきます。
http://www.jinken.ne.jp/flat_now/kyousei/2005/03/18/1429.html
宇梶静江さんは1933年生まれで、現在84歳です。これまで生きてこられた中でたくさんの経験があるだけに、一つひとつ言葉の重みを感じました。
宇梶さんが冒頭の言葉も印象的です。「私はこれまで、差別というのをたっぷりと、足の先から頭の先まで受けて感じてきました」。
ひとつは、女性差別をいやというほど受けてきたということ。「気が付いてみれば『女なんか』『女のくせに』『女だから』と言われ、それに対する反感を持ってきました」。
そして、日本でのアイヌ民族に対する強烈な差別。
「アイヌは難民とさせられました。耕していた土地も和人にすべて奪われ、あっち行け、こっち行けと、その時代の政府の事情によって移動させられました。そうすると生活も成り立たない。貧しさを強いられました。そして明治32年の北海道旧土人保護法によって、北海道という大地は全部日本政府のものになりました」
「和人は勉強する機会も与えられ、文字を持って社会生活をしていました。一方私たちの親たちは文字を持たない。何千年、何万年と言葉の伝承をもって生きてきた民族です。礼儀作法や生きる中でのマナー、哲学も全部、言葉を用いて子どもたちに教え、生活の中で正し合って生きてきました。文字を持った人たちに一方的に社会的困窮を強いられました」
両親たちは、和人に従わないと子どもたちがいじめられると恐れ、子どもにアイヌのルーツや文化、アイヌ語を教えることはなかったそうです。
宇梶さんが講演で繰り返されていたのは、「知らない」ということは「弱い」ということ。
「自分たちはなぜアイヌであって、差別されなきゃいけないのか、何も分からなかった。幼い頃からどうしていじめられるのか、なぜ貧しいのかも分からなかった。それを知りたいと思っても、知るすべがなかった。見えない社会を、差別の中で生きてきた」。
「差別の実態を知るまで、84年かかりました。長い間、自分を証明することの出来ない人生でしたが、今それをみなさんにこうして話せることを嬉しく思います」。
この言葉を聞きながら、自分の存在が何なのか、自分が社会のどのような差別構造の中に組み込まれているかを「知らない」ということの恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
同時に、在日同胞社会というコミュニティがあるということ、自分を知る場所があるということの大切さを改めて実感させられました。
また、在日以外のマイノリティについて、自分が全然知ることができていなかったということを反省しました。当事者の話を直接聞くことで感じること、知ることがあまりにも多かったからです。
さまざまなマイノリティ同士がどのようにつながっていけるのか、まず自分が相手を知ることから始めなければと思いました。(S)