川崎でヘイトデモが決行
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住民たちの度重なる要望もむなしく、7月16日、川崎市中原区の綱島街道で差別扇動者たちによるヘイトスピーチデモが決行された。かれらは出発時点から離れた場所に観光バスで到着。約20人が警察に先導されながら、11時から約10分間、デモを決行した。
差別扇動者たちは、「本邦外出身者へ告ぐ。日本人に対するヘイトスピーチ、許さない」「デモこそ人権」としたポスターや、2015年2月に多摩川河川敷で殺害された少年の顔写真に「川崎を取り戻せ」と書いたプラカードを掲げ、民族的マイノリティが日本人に攻撃を加えているような主張をした。
しかし、駆け足で追いついた市民たちに、行く手を阻まれ、差別主義者たちはとん走。予定していたコースは700メートルだったが、かれらが歩いたのは約300メートルだった。
川崎平和公園には9時前後からヘイトデモに反対する約500人の市民たちが各地から集結し、炎天下のもと、デモコースとされる道の沿道を埋め、「ヘイトやめて」「差別のない川崎の街へ」と書かれたプラカードや横断幕を掲げながら、神奈川県警にデモの中止を呼びかけた。
訴えること1時間半。しかし、デモは決行された。驚くべきは、 出発地点が急遽、変更されたにも関わらず、ヘイトデモの先には警察の先導車両があったことだ。この事実について、現場にいた有田芳生参議院議員は、「警察は職業的差別主義者を守っている。その姿を国会の法務委員会で徹底的に追及していく」と怒りをあらわにしていた。
「ヘイトスピーチを許さない川崎市民ネットワーク」の三浦知人事務局長は、「デモを予告した時点で、すでに人権被害が生まれていたにも関わらず、警察と公安が結託した形でデモが行われたことに怒りを覚える。『ヘイトスピーチをやり直す』という、かれらの行動をしっかり処断するため、川崎市で条例を作り、差別が断罪される社会を作っていく。そのための今日を刻みたい」と悔しさに声を震わせていた。
また、川崎市ふれあい館職員のチェ・カンイジャさんは、「私は今日、絶望を見に来たわけではない。いつの日か市民がデモを止めなくても、ヘイトデモができなくなるその日に向かっての希望の一歩。今は苦しいし、大変だけど、払われた犠牲は法整備で凌駕していきたい。ともに頑張りましょう」と声を振り絞った。
デモを計画したのは、川崎市内で2013年5月から12回にわたり、デモが繰り返してきた人物だった。この人物のデモで卑劣さを極めたのが、15年11月と16年1月の「日本浄化デモ」。民族虐殺を思わせる「浄化」という言葉を使い、在日コリアンが多数暮らす川崎市桜本の住宅街をめがけてきた。
その第3段として予告された昨年6月5日のデモに対して、川崎市長は、デモ出発前の集会を前に公園を使うことを認めず、横浜地裁川崎支部も桜本でのデモを禁止する仮処分決定を出し、デモは中止となった。
ヘイトスピーチ解消法が施行されて1年。差別と偏見を巻き散らかしてきた差別主義者に、なぜデモが許可されたのか―。市民たちは、込みあげる怒りを県警にぶつけていた。 翌17日には秋葉原でも、警察に守られながらヘイトデモが行われている。
攻撃されている人たちは、心身ともに限界に来ている。日本政府や自治体、警察は本腰を入れて、ヘイトスピーチの根絶に取り組むべきだ。(瑛)