行政権力による差別という厚い壁に穿たれた穴
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前々回、前回に続いて今回も、大阪無償化裁判の地裁勝訴判決についての話。前々回は勝訴の速報的な記事、前回は判決内容の初歩的な解説で、いずれも客観的な、一歩引いたような筆致の文章だった。今回は主語を「私」にして書きたい。
今回の判決の言い渡しを法廷で傍聴した。裁判取材で勝訴判決の言い渡しに立ち会ったのは今回が初めて。
法廷の内外で生まれた歓喜の輪の中には、この間のさまざまな現場で地道にたたかってきた人々の姿があった。大阪府庁前の火曜日行動、集会に署名集め、文科省要請、必要とあらば遠くスイスのジュネーブにも飛んだ。失望し、悔し涙を流したことは数知れず。それでもあきらめず、愚直に訴え続けた。報告集会の場で大阪朝高オモニ会の会長が話していたように、100回倒されても101回立ち上がる「不堯不屈」の精神を地で行くたたかいだった。私は決して真面目な取材者ではないが、この間、そんな場面を何度も目撃した。
そして今回、そんな屈せざる者たちのたたかいが実を結ぶ瞬間に立ち会えた。記者冥利に尽きる。月並みな表現だが、そう思った。
ここであえて指摘しておきたいことがある。そもそも、誰もすき好んで裁判闘争などやりたくなかった。ときの民主党政権が法律の趣旨にのっとって朝鮮高級学校を高校授業料無償化法の対象に指定していれば、とっくに解決していた話なのだ。排除から7年、提訴から4年半、決して短くない期間だ。この間、どれだけ多くのものが傷つけられ、奪われてきたのか。それを思うと、今回の結果を諸手を挙げて喜ぶことに躊躇してしまう(もちろん、今回の地裁判決やそれを導いたたたかいの意義を否定しようというのでは決してない)。
国や地方自治体といった「公」を相手取った裁判に勝つのは並大抵ではない。あまりにも露骨な朝鮮学校外し。その違法性は明白だった。「訴えればさすがに勝てるだろう」。はじめはそう思っていた。しかし、広島での敗訴判決や現在の日本の政治・社会情勢―。個人的にも、これまでの司法に対するぬぐいがたい不信感が頭をもたげ、大阪もおそらくだめだろうと心の片隅では思っていた。
それだけに今回、強大な行政権力による差別という高く厚い壁を崩す穴が穿たれたことは大きな意義を持つ。
ただ、本当に喜ぶことができるのはまだ先のことかもしれない。私たちはまだ具体的な成果物を手にしていない。今回は地裁で判決が下ったにすぎず、国側が控訴すれば、裁判は上級審でまだ続く。9月には東京での判決言い渡しがある。愛知と九州(福岡)ではまだ結審していない。そして、7月19日に原告全面敗訴の判決が言い渡された広島では原告側が控訴した。そして昨日、大阪高裁では、さる1月に原告・大阪朝鮮学園側の全面敗訴の判決が下された補助金裁判の控訴審が開かれた。
たたかいはまだ続く。(相)