世界の人々は朝鮮をどう見ているか【平壌発16】
広告
前々回のブログで紹介した、白頭山偉人を讃える国際祭典。ほかにも印象的な内容がいくつかあったので、2度に分けて紹介します。
(上の写真は、本文では触れていませんが、8月16日に行われた「国家宇宙開発局の科学者、技術者、職員との交流会」の時に撮影したもの。朝鮮の最先端を担う人々に会えたと参加者たちは大喜びでした)
8月16日には祭典参加者らによる連帯集会が開かれ、世界各国の代表5人が演説しました(写真は朝鮮新報社平壌支局)。
「私はこの場を借りて、日本政府による総聯と民族教育への不当な弾圧、対朝鮮敵視政策に対し、世界各国から平壌にいらした皆さんが共に声を上げてくれることを切に願います」―朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会 日森文尋議長
このような国際的な場で在日朝鮮人の権利についても言及して下さる日本の方がいるということを、たくさんの同胞たちに伝えたいと思いました。
「私は、国連安全保障理事会の<制裁決議>2371号を徹底して糾弾した朝鮮民主主義人民共和国の政府声明を全面的に支持します」―英国朝鮮友好協会 ダーモット・ハドソン委員長
イギリスは国連・安全保障理事会の加盟国にも関わらず、そこに暮らす人がハッキリと国連の措置を批判していたことも痛快でした。
「世界の平和を乱す国は、占領されたパレスチナ、スリア、キューバ、ベネズエラ、ウクライナをはじめとする国々の共同の敵です。帝国主義による侵略に直面しているすべての国は、朝鮮の政策を強く支持します」―世界平和評議会(WCPP) イラクリス・ツァブダリディス執行書記
また、実際に平和と自主を踏みにじられている当事者たちの目には、何がまやかしで何が自分たちのためになるのかということがクリアに見えているのだな、とも感じました。
他にも、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構(OSPAAL) ルルデス・セルバンテス書記長、カンボジア民族統一戦線(FUNCINPEC) チャプ・ナリブト副委員長という方々が発言。
日本にいると全く実感がありませんでしたが、こんなにも様々な国の人々が朝鮮を支持しているということ、そして演説で話される内容にも驚きました。日本では朝鮮に対する否定的な言葉だけがどんどん入って来るので、(ああ、こんなことを言ってくれる人たちがいるんだ)と新鮮で、勇気をもらいました。
さらに集会の最後、参加者たちの名義で国連のアントニオ・グテーレス事務総長に送る手紙を採択。「現在、アメリカは情勢が悪化した責任は朝鮮民主主義人民共和国にあるとし、共和国を孤立させるため国連の名前までをも盗用して不当な<制裁決議>を作り出した」としながら、「私たちは、国際平和と安全、人類共同の発展を追求するという国連の使命に沿って、国連事務総長と事務局が共和国に対する各種制裁の解除を含む適切な処置を迅速に行ってくれることを強く求める」と主張しました。
世界各国の人々が連帯し、国連に訴えかけるというアクションを起こしたことに感動しました。日本では報道されないだけで、朝鮮を自分の目で見て理解した上で支持している人はたくさんいるようです。
連帯集会のあとは、国際図書・文芸作品「世界が見る今日の朝鮮」授賞式が行われました。朝鮮についての書籍や文芸作品を発表した世界各国の人々に、感謝と激励を伝えるという趣旨の式でした。
これまたこんなに多様な国の方々が! 賞をもらった参加者たちの、「光栄です」というような、なんとも嬉しそうな表情が印象的でした。日本からは、愛媛現代朝鮮問題研究所の名田隆司さんが受賞していました(写真下)。
私がこの日の関連行事に参加して強く感じたのは、朝鮮はもっと色々な言葉を尽くして語られなければならない国だということ。それも、実際に朝鮮を訪れた人たちの生の声で、いきいきと。
朝鮮に来たこともない人々によって編集された、「北朝鮮」に関するコピペのような一面的な報道に、いまどれほどの価値、そしてなんの意味があるでしょう。他の国の中での朝鮮に対する一般的な評価がどうかは分かりませんが、少なくとも日本は、もうそろそろ狭すぎる「北朝鮮」観から抜け出した方がいいと思いました。
同時に、朝鮮の姿が正しく伝えられない理由の一つに、私は言葉の壁もあるのかなとふと考えました。
例えば「白頭山偉人を讃える国際祭典」という名称。参加すればとても人間的で、ワールドワイドで、平和的な趣旨の行事だと分かります。しかし一般的な人が行事の名称だけ見ると、なんだかとっつきにくい印象を受けるのではないでしょうか。最初から拒否反応を起こして、内容を見ようとしない人も少なくないかもしれません。
これに限らず現在の情勢などに関しても、朝鮮が発信する言葉を直訳ではなく、歴史性や背景、意図まで加味して分かりやすく伝えることができれば、かなり理解は深まるのではないかと感じました。
そのために、直接朝鮮を見た人が、その人の視点で発見したこと、印象的だったことを、自分の言葉で語ることに意義があると思うのです。
今回の行事名称も、いっそ「平和と自主を願う世界の人々の集い in 平壌―白頭山」とかで良かったのでは?と図々しくも考えてしまいました。(理)