映画を語ろう
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映画好きの話を聞くのは面白い。経験や視点によって全く違った解釈があり、自分の及ばない関心分野についても知ることができるからだ。映画はただ観るだけでなく、そのあとにそれぞれの受け止め方を語ることにこそ醍醐味があるのかもしれない。
こんな思いから、5月号の特集は「映画を語ろう」(仮タイトル)に決定した。
「この作品を世に出したい」という情熱を持ち、映画配給の仕事をしている同胞たちのインタビューほか、同胞映画監督によるエッセイ、人種差別について考える映画リスト、目利きの筆者たちが書く名作映画レビュー、そして現在公開中もしくは近日公開される映画の中から「これは観るべき!」という作品を紹介してもらうコーナーなど、内容盛りだくさん。
ところで「映画を語る」といえば、私にとって印象的だったエピソードがある。昨年度の連載「ジョンホの決めゼリフ」(劇団アランサムセの主宰・金正浩さんが毎号1作品ずつ映画を取り上げ、印象的だったセリフを絡めながら自身の考えを書くというコラム)の原稿を準備する際、金正浩さんとメールでやり取りしていた時のことだ。
「私たちは現実に対して消化不良を起こしている。だからこそ消化できる物語を見たいのだ。この傾向は1995年の大震災とオウム事件で加速された」という鴻上尚史の言葉に共感し、「消化しにくい物語」(=説明されない「なぜ?」が積み重なる作品)が忌避される現況を憂う。…
原稿の本文は上のように始まり、そのまま作品のあらすじへと展開されていくが、私はどうして「『消化しにくい物語』が忌避される現況を憂う」のか、もう少し詳しく知りたかった。文字数の関係で当時の誌面には掲載できなかったが、以下、私の質問に対する金正浩さんの返答を転載したい。
(どうして先生は「消化しにくい物語」が忌避される現況を憂うのでしょうか? 「消化しにくい物語」を見る意味はなんでしょうか? という私の質問への返答↓)
「わかりやすさ」だけを追求していくことを危惧するからです。「誰もがわからないもの、難解なもの」がいいということではないですが、「簡単でわかりやすい」は例えば安倍政権やトランプ現象のポピュリズムにつながると思います。
世界は、人の心は、一言で簡単に説明できるものではないはずで、それを扱い表現する芸術で「わかりやすさ」だけが追求されることは、「答えは一つ」を前提にしていることになるし、観る者の想像力と多様性を排除することになるという考えです。
近年、同胞社会でも日本社会でも、ドキュメンタリー全盛の様相を呈していて、私はこれと関連していると思っています。演劇でも例えば「在日バイタルチェック」などはドキュメンタリー的要素が強いものだと思います。(ドキュメンタリー作品を否定するわけではもちろんありません。)
事実を映して「わからない」はないということに安心する場合、それ以上の想像とそれから繋がる作品以上の「自分の考え」を持たなくなることを憂うからです。やはりフィクションの力、比喩、想像の力、答えの多様性を追求していきたいと思っています。こんなんで答えになっていますか?
私はそれまで、どちらかというと勧善懲悪ものに代表されるような分かりやすい作品を好んで観ていたような気がする。「わからない」作品はモヤモヤするから嫌だとすら考えていた。しかしこの返事を読んで、確かにただただ分かりやすい作品というものの中には、どこかで少数派を抑圧していたり、「正しさ」を押し付けたりと、まさにここに書かれているような面があるのかもしれないなと思い至った。
またこのメールやり取り以降、こうやって映画を通して色々なことを語る面白さについても考えるようになった。作品の内容だけでなく、そこを起点として相手の価値観を知ることができる。そうして、最初に戻るが今回の企画を立てるに至った。
余談だが、「ゆれる」や「夢売るふたり」などの代表作を持つ西川美和監督のエッセイ集『映画にまつわるxについて』も面白い。
「x=ヒーロー」「x=裸」「x=オーディション」「x=バリアフリー」「x=信仰」など、タイトルの通りに映画と様々なものをかけて自身の経験や価値観を綴っている。ユニークで笑える文章ながら言葉選びが絶妙で、好奇心が刺激される。イオの今特集でも、これに負けず劣らない文章が出てくるだろうと個人的にとても期待している。(理)
Unknown
>世界は、人の心は、一言で簡単に説明できるものではないはずで、それを扱い表現する芸術で「わかりやすさ」だけが追求されることは、「答えは一つ」を前提にしていることになるし、観る者の想像力と多様性を排除することになる
大事な指摘だと思います。
時代を経て評価の定まったいわゆる「名作(マスターピース)」にも、ストーリーあるいは映画の構造自体はわかりやすいようにみえて案外「あのシーン(やモチーフや台詞)はどういう意味だったんだろう?」と考えさせられるモノはよくあります。
たとえばずいぶん前に貴誌の文化欄で紹介されていた『ヴェニスの商人』(アル・パチーノがシャイロック役でした)を実際に観て、文句なく現代の名作という感想を持ちました。
しかし、終劇まぎわの詩的なシーンは観る側に解釈が委ねられ、なかなか読み解きにくいものがありましたね。正直今でもよくわかっていません笑。
以上、映画好きを自称するのも恥ずかしい程度にしか映画を観ていない者のたわごとにすぎませんが・・・。
ブラウさま
コメントありがとうございます。
私もその部分に「なるほど」と思い、とても共感しました。
ブラウさんが書かれたように「あのシーンはどういう意味だったんだろう?」と、観た後に何度も考えさせられるのは面白いですよね。
ヴェニスの商人、私はまだ観ていなかったので、ぜひこんど観てみます。
私も筋金入りの方々に比べたら全然観ていない方なので、偉そうには言えませんが(笑)。
今回の特集を機に、これまで目に入っていなかった作品にもどんどん触れていこうと思います。