ハナ トゥル セッ
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先日、インタビューの取材に伺った時のこと。お話を聞いたあと写真撮影に移った。場所を決めて、構図を決めて、カメラを構えて、「ちょっと撮ってみますね」と試しに一枚。明るさを調整して本番。「ハナ、トゥル、セッ」と言いながらシャッターを切ると、ファインダーの向こうでふっと表情が崩れた。
はじめに試しで撮った写真と比べてみると、とても自然な笑顔。もしかしてと思い、「“ハナ、トゥル、セッ”って面白かったですか?」と聞くと、こらえていたのを吹き出すように相手が笑い始めた。
その方は、小学校から大学まで日本の学校へ通い、在日朝鮮人のコミュニティと関わることが全くなかったという。「写真撮るとき、そういう言い方するんですね」と言って、その後も何度か角度を変えて撮るごとに口元を緩ませていた。
「ハナ、トゥル、セッ」ー日本語に直訳すると「いち、にの、さん」。これまで写真を撮るときに何百回と言ってきたが、これだけで笑ってもらえるのは初めてだった。朝鮮学校にゆかりのある人や同胞コミュニティと近い人は聞き慣れているため、こんな反応は返ってこない。
自分も写真が苦手なので気持ちがよく分かるのだが、やはり「撮られる」という状況は緊張する。どうやったら柔らかい表情を撮ることができるか、いつも試行錯誤しているのである。当たり前のように使っていた「ハナ、トゥル、セッ」ひとつでこんなに素敵な表情を得られるとは。自分にとっても新鮮な体験だった。
そういえば昔、初めて「はい、キムチー」というかけ声を聞いた時は、自分もつい笑ってしまった。撮影者だけではなく、撮られる側も「キムチー」と言いながら口を横に引いた状態でキープする。笑顔を作る合理的なかけ声なのだと説明されたが、わざわざそうせずともキムチという言葉を持ってくるという「同胞っぽさ」だけで自然とほほえましい気持ちで笑顔になれた。最近はまあまあ聞くことが増えたので慣れてしまったが。
想像していなかった言葉が出てくるとおかしくて笑ってしまうのだろうか。今度「イー、アル、サン」とか「アン、ドゥ、トロワ」とか「モッ、ハイ、バー」とか言ってみたい気もするが、万が一それで反応が返って来ないとスベった感じになって恥ずかしいので、ちょっと容易には試すことができない。(理)