編集作業の昔と今―白黒フィルムの製造中止報道を見て
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朝鮮半島情勢は日々、変化し、日本では安倍政権に対する厳しい追及が起こっている。気になる事件としては、相撲の巡業の際に、土俵上で倒れた市長を助けようとした女性らに、土俵から降りるようアナウンスし塩を撒いたという出来事。
しかし、今日はそういうこととはまったく関係のないことを書きたいと思う。
少し前にネットで次のニュース(4月6日毎日新聞ネット版)を見つけた。感慨深いニュースだった。
「富士フイルムは6日、白黒写真用のフィルムと印画紙の製造・販売を終了すると発表した。カラー用製品の製造・販売は今後も継続する」
カメラがフィルムからデジタルに移行してずいぶんと経つが、大手富士フィルムでついに白黒写真のフィルムと印画紙の製造・販売が終わる。今は、仕事でもプライベートでもフィルムはまったく使わない。完全にデジタルカメラで撮影する。
私がカメラを撮るようになったのは社会に出て、雑誌編集の仕事をするようになってからだ。シャッタースピードや絞り、露出のことなど、基本的なことから学んだ。当時のカメラは自分では何もやってくれなくて、ピントも人間が合わせていた時代だ。当時作っていた雑誌が白黒印刷の雑誌だったから、撮影する写真も白黒だった。
写真撮影の基礎と同時に、白黒フィルムの現像と印画紙に焼付ける方法も教えてもらった。当時の会社には暗室があって、取材し撮影したフィルムを自分たちで現像していたのだ。詳しい手順は忘れてる部分も多いが、相当な数のフィルムを現像し焼付けて写真を作っていた。手間と技術、時間がかかるのが焼付けで、一旦、暗室にこもると2時間ほどはあっという間に経っていたと思う。
雑誌編集の仕事も長いので、カメラだけでなく、この間の技術の変化は大きい。活字による活版印刷からオフセット印刷へ。いつのまにか活字がなくなり写植もなくなった。レイアウトも紙に手で線を引いていたのが今は画面上で行う。鉛筆がワープロになり、パソコンが支給されている。原稿の受け取りも、郵送や足を運んでいたのがFAXになりメールになった。
技術が発達することで、非常に作業は楽になったが、失われたものもあるのではないか。原稿の受け取りも、筆者と直接顔を合わせることで学ぶことも多かったと思う。今も近くなら会えばいいのだけど…。富士フィルムが白黒フィルムと印画紙の製造・販売を中止したことで、白黒写真が完全になくなるわけではないが、一つの時代の終わりを象徴する出来事だと思う。
自分がやってきた編集という仕事の一つの節目をつける象徴的な出来事だと、感慨深く少し寂しいものがある。(k)