統一を子どもたちへ―
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北南首脳会談の日、各地の朝鮮学校では北南の両首脳が軍事境界線を渡る姿を生中継で見ていた。都内の中学校に通う息子は、「これで戦争が終わるね」と言った。私には、その言葉が胸にずしりと来て、朝鮮戦争を知らない4世でも、「戦争」が重くのしかかっていたことを改めて感じた。
私にとって、朝鮮半島の平和は、母方の祖母の生い立ちを知ったことから切実な願いとなった。祖母が朝鮮戦争で身寄りをなくしたと聞いたのは大人になってからだ。1953年以来停戦中で、いつまた焦土と化すかも知れない故郷を思うたび、私は幼い祖母が一人荒野にたたずむ姿が胸に浮かぶ。
自分自身の「分断」の記憶として思い出すのは、韓国に暮らす親戚が小学校の頃、わが家に泊まったとき、「あまり朝鮮学校のことを話さないように」と大人に言われたこと、また、父の仕事でフランスにいたとき、韓国から来た大学の先生に会うときは、朝鮮学校に通っていることを一切伏せていたことを思い出す。
父は朝鮮学校の教員だったが、それも隠していた。
それでも韓国の先生は、そのことに気づいていたと思う。国家保安法がある限り、迷惑がかかることを、お互いが察知し、お互いが一定の距離をとっていた。その時に流れていた空気はよく覚えている。そして、日本に戻った後、私はあの「金先生」が私たち家族と会っていたことを罪に問われ、韓国で捕まることがあったら、どうしようかと気をもんだりもした。
統一を子どもたちへ―。
大人である私自身の責任だと感じる毎日だ。
「なんで日本で生まれたの?」
「大人になったら、朝鮮や韓国で暮らせるの?」
この問いに胸が詰まることは、この先ないだろう。
今は晴れやかな気持ちで将来を描いている。(瑛)
※写真は京都朝鮮中高級学校のフェイスブックページから