相手を通して自分を見る
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「日本の中の外国人学校」の取材で、岐阜県大垣市にあるHIRO学園を訪ねた。2000年に開校された同校は、06年に各種学校の認可を取得している。
小学1年生から高校3年生までが1つの校舎で学び、児童・生徒数は約200人。日常会話や授業はすべてポルトガル語だ。授業はブラジルのカリキュラムに沿って行われ、教科書も本国で使用されているもの。
県をまたいで通学を希望する家庭もあるため、毎朝6台のバスが稼働して子どもたちを送り迎えしている。一番遠くて片道2時間半かけて通う子どもたちも。
お昼は給食があり、お弁当を持参しない子どもは食券を買って申請する。給食は校長先生の妻が手作りしている。もともと料理が好きだったため、役割を買って出たという。
子どもたちは人懐こく、元気でいきいきとしている。環境だけでなく、なんとなく雰囲気も朝鮮学校に似ている。
授業料は小学4年生までが月4万円、中学3年生までは3万8千円、高校生も3万8千円だが、一人当たり毎月9900円の就学支援金が支給されるため、実質2万8100円になる…、
ここまで聞いて(あっ)と思った。これが高校無償化か!と、今さらながら気づいたのである。
これまで何度も「外国人学校の中で朝鮮学校だけが高校無償化制度から除外されている」という言葉を聞き、また目にしてきたが、実際に当事者から話を聞くと、思っていたより何倍もの実感があった。確か、その時は「あっ本当にあるんだ」「そうか、各種学校だもんな! そういうことか~」「親御さんたち助かるだろうなー」というような単純な感想を抱いた覚えがある。
いつも同じ話を聞いていると、「それはそうなのだ」と、あたかも最初から知っていたように思いこんでしまい、自分の確認・思考を怠ってしまうことは往々にしてある。いくら説得力のある説明を受けても、やはり自分の実感が伴わないと、どこかで薄いものになってしまうのかなと感じた。
「日本の中の外国人学校」は、外国籍の子どもの「教育を受ける権利」に着目し、日本社会における外国人学校の在り方や価値、制度的な課題を探ろうという趣旨の連載だ。これまでに私は3校を取材して、その度に新鮮な感動や発見があったが、今回改めて「相手を通して自分を見る」という経験をすることができた。ほかの立場からの視点を借りて、たまに自分たちの現在地を確認すると意外な発見があるのかもしれない。(理)