科学者きどり
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小学生の頃、雑学にはまっていた。雑学がたくさん書かれている文庫本をよく買ってはワクワクしながら読んだものである。雑学にも様々なジャンルがあるが、私は植物、動物、宇宙、生活の中の小ネタや世界の文化に関することなどが好きだった。
ある時、「ポマト」という項目を見つけた。ポマトとは、ジャガイモ(ポテト)とトマトを掛けあわせた植物だという。「そんなことができるのか!」という感動で、自分もすぐに似たようなことがしたく、居ても立っても居られなくなった。
とりあえずお小遣いを持って近所の花屋さんへ。大小おおきさの異なる種を購入して急いで家に帰った。単純にもほどがあるが、この時すでに私は一丁前の科学者きどりで、「他の人が同じことを閃く前に早く新種の花を作らねば!」という焦りに駆られていた。
帰宅後、湧き上がる情熱をオモニに語りながら、家にあったアイスピックを使って大きな方の種に穴を開けようとしたことまでは覚えている。私がイメージしていたのは、大きい方の種に穴を開けて、その穴に小さい方の種を入れこみ土に埋めるというこれまた単純なもの。土の中でなんかうまく融合して、両方の特徴を合わせ持った綺麗な花ができちゃうかも、と期待に胸を膨らませた。
しかし、このあとの記憶があいまいである。恐らく、しばらく奮闘したものの全く穴が開かず、「あとでやろう」と思って置いたきり忘れ去ったのだと思う。短い情熱だった。私の性格を知っているオモニはこうなることもお見通しだったはずなのに、何も言わず自由にさせてくれたのだなあと今になって気づく。
思い描いていた「新種の花」は、ハッキリした姿ではなく、ぼやーっとしたイメージに過ぎない。もし、もっとくっきりと綺麗な花を思い浮かべていたら、実物を見るために最後まで頑張っていたのだろうか。自分は科学者向きではないと早々に自覚した出来事だった。
今はインターネットがあるので、一歩も動かなくてもある程度の答えが知れてしまう。そんな環境が当たり前の中で、私は当時よりずっと「動かない」人になってしまったような気がする。やる気が続かないのはダメだが、それ以前にワクワクする種があるのに結局なにもしないのが一番さみしい。たまには子どものような衝動も必要かなあと思った。(理)