2017年7月28日
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日本列島を西に向かって横断するという異例のコースをたどった台風12号が関東地方に接近した7月28日。奇妙奇天烈な台風が運んできた雨と風が猛威を振るうさまを仕事場の窓越しにながめながら、ちょうど1年前の出来事を思い出していた。
2017年7月28日、大阪朝鮮高校無償化裁判で原告・大阪朝鮮学園側が全面勝訴。
大阪地裁前、「勝訴」「行政の差別を司法が糾す」の旗出し、湧き上がる歓声、抱き合い喜びの涙を流す学校関係者と支援者、チマチョゴリ姿で笑顔の女子生徒たち―。今でもふとした時に、インターネット上にアップされている動画を見ながら、あの日に思いをはせることがある。
私は地裁前ではなく、判決を聞くために法廷の中にいた。
正直に言うと、期待はしていなかった。国の露骨な朝鮮学校外しの違法性は明白だったが、大阪に先立って判決が言い渡された広島の裁判では原告側が全面敗訴となった。その年の1月には、大阪朝鮮学園が大阪府と大阪市を相手取って補助金不支給処分の取り消しと交付の義務付けを求めた裁判で原告全面敗訴の地裁判決が下された(この結果を受けて原告側は控訴したが、今年3月にはまたしても高裁で原告敗訴となった)。
頭の中ではこちら側に理があるとわかっている。普通なら、こちらが負けるわけはない。しかし、戦後補償裁判から朝鮮学校関連の裁判にいたるまで、こちら側の主張が認められたことなどごく少数の例外を除いてほとんどないという事実の前に、なかば諦めていたというのが正直なところだった。おまけに、これは国を相手取った裁判だ。「今回もだめだろうな…」。頭の片隅では敗訴バージョンの記事の展開を考えていた。
しかし、結果は違った。原告全面勝訴。こんな誤算ならいくらでも歓迎だ。
判決言い渡しの日は奇しくも自分の誕生日の翌日だった。最高の誕生日プレゼントをありがとう―。歴史的な場に立ち会えた幸運に感謝した。
あれからもう1年。
国側が控訴して高裁に舞台が移された裁判は3回の口頭弁論を経て今年4月27日、結審した。控訴審の判決は9月27日、大阪高裁で言い渡される。
控訴審判決の言い渡しを2ヵ月後に控えた大阪では、7月26日に府内7ヵ所で朝鮮学校関係者、裁判支援者らによる一斉街宣行動が行われた。
声を上げ続けること―たとえそれが小さくか弱い声だとしても。その愚直なまでの取り組みが実を結んだのが一審の勝訴判決ではなかったか。
9月27日は今よりも涼しくなっているだろう。
昨年7月28日のような喜びの声を、また聞きたい。(相)