共和国創建50年→70年、人工衛星の打ち上げと今日の朝鮮半島
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9日の日曜日は、朝鮮民主主義人民共和国の創建70周年に当たる日だ。その日、朝鮮ではマスゲームなど様々な行事が行われることだろう。1948年の建国から70年、常に米国をはじめとする帝国主義国からの圧力を受け続けた。その中で創建70周年を迎えることが、私自身、本当に誇らしい。
今回の70周年は特に、朝鮮半島情勢が好転する中で迎えるだけに、祖国の人々はもちろん在日朝鮮人の喜びも大きい。
20年まえの創建50周年の時に、私は朝鮮にいた。当時はマンギョンボン92号がまだ就航していた時で、7月22日に元山に到着、9月12日に元山を出航。2ヵ月弱に渡って朝鮮を取材することができた。1998年の9月9日の当日には、午前の軍事パレード、午後のマスゲームと100万平壌市民のパレード、夜の松明行進を現場で写真撮影した。
取材期間、最も大きな出来事だったのは、創建50周年を前にした8月31日、朝鮮初の人工衛星「光明星1号」の打ち上げだった。日本では「ミサイル発射」と大騒ぎで朝鮮に対するバッシングがすごかったようだが、平壌にいたので実感がない。平壌でも発射したのが人工衛星だったと伝えられたのは9月4日だったと記憶する。報道されてからの平壌市内の盛り上がりはすごかった。マスゲームのリハーサルの様子を9月3日に取材したのだが、その時になかった人工衛星発射の場面が9日の本番ではちゃんと入っていたのには驚かされた。
振り返ってみると、その時の人工衛星の発射が今の朝鮮半島の現実につながっていることがよくわかる。光明星1号の発射はとてつもなく大きな出来事だったと思っている。
1998年11月号の月刊イオに創建50周年の特集を組み、その中で「この国に生まれ、育ち、支えてきた人々」という原稿を書いた(写真)。その中に次のような一節がある。
「共和国滞在中、製鉄所や工場、協同農場、牧場などさまざまなところを訪ね、働く人々の姿を見た。その姿は皆、『われわれはこの国で生まれ、この国で育ち、そしてこの国を支えてきたんだ』と語っているようであった。その姿もまた自然で気負いのないものであった。」
訪問した当初はまだ「苦難の行軍」の時期で、工場を訪ねても稼働率が高くなく、人々は苦しい生活を強いられていた。しかし、創建50周年、人工衛星発射を境に、朝鮮は上昇気流に乗り「苦難の行軍」を克服したと言える。
50周年の様々な行事を目の前で見て取材できたことも良かったが、記事に書いたように、朝鮮の人々の自分たちの国に対する愛情、そこで生まれ生きて支えてきたことに対する誇りを身近に感じることができたことが、本当にうれしかった。70周年を迎える今日の朝鮮の人々も同じであろう。
9月には、文在寅大統領の平壌訪問(18~20日に決まった模様)、国連総会(18~30日)がある。同じ二人による3回目の北南首脳会談でなにが話し合われるのか。国連総会に、北と南、米中からどのような人物が参加し、どのような協議が繰り広げられるのか。本当に楽しみだ。(k)