「イエス、アンド」の民族性
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昨年末、入社して初めて韓国現地取材の機会に恵まれた(新年号に続き、2月号でも関連記事が掲載されます)。
現地の人々と行動を共にし、たくさんの会話を交わす過程で発見したことがある。みな「イエス、アンド」の感覚を自然と身につけているのである。
「イエス、アンド」とは、相手を肯定し、それに沿って返答すること。私は一時期、演劇教室に通っており(時間が合わなくなり、10ヵ月ほどで退会してしまった)、そこで習った言葉だ。なんでも、演技の基本は「イエス、アンド」なのだという。
演劇は、台詞によって相手との関係性や状況といった物語が作られていく。前提となる台詞を否定(NO)してしまったら話が進まない。相手の言葉を受け入れ(YES)、さらに発展させる(AND)ことが大切…というような説明を教室で受けた。
さらに、その感覚を身につけるためゲームもさせられる。方法は単純。二人一組になって、はじめにどちらかが簡単な提案をする。受け手はそれに賛同し、もう一つ提案を重ねるというもの。例えば、
A「明日、遠足に行かない?」
B「いいね! じゃあ私はサンドイッチを作るよ」
A「ありがとう!」
という風に。1ターンが終わると、順番を変えて同じことをする。部屋のあちこちで、照れ笑いの混じったぎこちないやりとりが繰り広げられていたことを覚えている。
このようにわざわざワークショップなどで習うようなことを、韓国の一般市民は生活の中で普通にこなしているように感じられた。それにハッと気づいたのは、同い年のソウル市民とお喋りしていたとき。
「あなたは韓国の〇〇ってアイドルに似てるね」と言われ、私はとっさに「いや~~そんなことないよ!」と否定してしまった。途切れる会話。(あっ…せっかく話のネタを提供してくれたのに)と思ったが遅かった。
しばらくのち、落ち着いた私が「あっ、でもあなたは女優の△△に似てるんじゃない?」と言うと、かのじょは「うん、よく言われるの! もう名前を〇△△(自分の苗字に女優の名前)に変えようかな」と返して笑わせてくれた。
この時、自分とかのじょの思考方法が全く違うことに気がつき、その後も現地の人と話しているとやはり「イエス、アンド」的コミュニケーションに溢れていることを実感した。また、振り返ってみると、朝鮮民主主義人民共和国で出会った人々もみな「イエス、アンド」で返してくれていたような気がする。簡単に言うとノリがいい。笑いが起こり、それがきっかけで会話が弾むと嬉しくなる。
謙遜の文化が強い日本で生まれ育った私には、いつの間にか日本式のコミュニケーションパターンが染み込んでいたのだろう。考え方によって言語感覚も変わってくる。先日、ある同胞にとりとめもなくそんな話をすると、「まさに『말이자 곧 민족(言葉すなわち民族)』だね」と言われ、改めてその意味を深く噛み締めた。
今後、気がついたときには一度「イエス、アンド」を試してみよう。これまでになかったコミュニケーションにつながっていくかもしれない。とはいえ不慣れなことをするので、変な方向に行って「あの子なんか最近、急に自信家になったよね」などと言われてしまわないよう、返し方には細心の注意を払いたい。(理)
※冒頭の写真は『미치도록 행복한 순간1000(천가지)』より、「긍정적인 마인드」は「肯定的なマインド」の意