本の装丁について
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本を購入する際に意識するポイントは人それぞれだろう。「装丁」もその一つだろうか。装丁は、本を手に取った時に真っ先に目に入ってくる、いわば本の「顔」に当たる部分。音楽CDでは「ジャケ買い」という言葉があるが、書店で本を購入する際にも装丁を見てその本を気に入ってレジに足が向くという人もいる。私は一度もない。「肝心なのは本の内容」という見方からすれば、装丁はあくまでも副次的なものだろう。しかし、装丁は本を構成する不可欠の一部であり、美しい装丁の本、印象的な装丁の本はそれだけで価値があり、売り上げにも影響を及ぼすのではないだろうか。
『HHhH』(ローラン・ビネ著、高橋啓訳、東京創元社、2013)。近年読んだ本の中でインパクトの強い装丁の作品の一つとして選んだ。もちろん、内容も面白い。
著者が描いたのは、ナチス・ドイツ占領下の1942年のプラハ(チェコスロバキア)で起こったナチスの高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件。ハイドリヒは、ナチスの秘密警察を束ねる国家保安本部の長官で、「ユダヤ人問題の最終的解決」(ユダヤ人大量虐殺)の主要な計画遂行者だった人物。「死刑執行人」「金髪の野獣」「第三帝国でもっとも危険な男」などと呼ばれ、暗殺事件当時はナチス・ドイツのベーメン・メーレン保護領(チェコ)の実質的統治者でもあった。ハイドリヒは1942年5月27日、大英帝国政府と当時ロンドンにあったチェコスロバキアの亡命政府が送り込んだ2人の暗殺者に襲撃され、そのときに負った傷がもとで6月4日に死亡した。作戦のコードネームは「エンスラポイド(Anthropoid、類人猿)」。歴史上、ナチス高官に対する暗殺計画の中で唯一成功した作戦として名高い。本書のタイトル『HHhH』は「Himmlers Hirn heiβt Heydrich」の頭文字から取ったもので、日本語に訳すと「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」(ヒムラーはハイドリヒの上官)。
本書はこの「エンスラポイド作戦」について書かれた歴史小説なのだが、この作品のユニークなところは、作品の分量の半分以上が著者の資料調査の経緯や歴史的事実を記述するにあたってどのような姿勢で臨むべきかといった記述に費やされていること。歴史とは何か、文学とは何か、「物語る」とは何か―。「『著者がハイドリヒ暗殺事件を小説にしていくプロセス』を小説にした作品」とでもいおうか。暗殺事件の筋だけでいい、著者の語りの部分はいらないという意見もあって好き嫌いが分かれる作品だが、私は興味深く読んだ。
ハイドリヒ暗殺は結果的に成功したが、その後の展開は悲惨だ(当時のチェコスロバキアとそこに住む人びとにとって)。ナチスは事件とは無関係の村を2つ、文字通り物理的に地上から消し去るという身の毛もよだつような報復に出る。暗殺実行犯とその支援者たちはプラハ市内の教会に立てこもったが、親衛隊に包囲され銃撃で3人が死亡、残り4人は自決した。そして、
ナチがハイドリヒの霊に払ったもっとも正当な敬意は、その葬儀でヒトラーがぶった演説ではなく、たぶんこっちのほうだろう。つまり、ベウジェツ、ソビボル、トリブレンカの各収容所の開設とともに、一九四二年七月から始まったポーランドの全ユダヤ人絶滅作戦のことだ。一九四二年七月から一九四三年の十月にかけて、二百万人以上のユダヤ人と5万人近くのロマがこの作戦によって命を落とした。この作戦の暗号名は〈ラインハルト作戦〉という。(本書379ページ)
装丁の話に戻る。本書の表紙は日本語訳版もいいデザインなのだが、英訳版の方がより印象的だ。ナチの制服を身に着けた人物の顔を覆うように重なった本書のタイトル『HHhH』。以下、Amazonのリンク。
https://www.amazon.co.jp/HHhH-Laurent-Binet/dp/0099555646/ref=pd_lpo_sbs_14_t_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=W6VFD55Z8EFX5AYWKQCA
インパクトの強さとすれば、こちらの方が圧倒的に上だと思う。(相)
Unknown
「HHhH」を読了されているとは、知的感度が高いですね。私など書名と内容をだいぶ前に知りながら、未読のままです(苦笑)。
「エンスラポイド作戦」は、貴記事で述べられたとおりの経緯をたどったわけですが、この作戦をチェコ亡命政府にもちかけた英国側(というかチャーチルとその周辺)の真意というのは、ナチ占領下で暮らす当のチェコ本国の人々からすれば底無しにドス黒い偽善に満ちたものだったようです。
下記の記事にそのあたりのことが大変わかりやすく解説されています。よろしければご一読ください。
http://young-germany.jp/2017/08/heydrich/