「料理をしないこと」はいけないことか
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先週、本誌連載中の「2世とつくる朝鮮料理」の取材に行った。
今回は担当記者の(理)さんが出張中のため、代わりに(全)さんと取材することに。
普段、私はカメラ担当だが、今回は作る側だった。
以前、自炊を復活したとブログに書いたが、まだまだレパートリーは少ない。
料理を教えてくださる高さんに「どんなものを作っているの?」と聞かれパッと料理名が出ないあたり、お察しだろう。
最近、「自炊力 料理以前の食生活改善スキル」の著者・白央篤司さんのインタビュー記事を読んだ。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/kazeyo-nishino/19-00129
「『料理が嫌い』じゃダメですか?」という見出しが妙に気になり、「あ、これ私のことだ」と思わずクリック。
実際、私も得意です!と堂々と言えないし、「自分が食べられればいい」「生きて行くためにやる作業」としか思えていないので、料理=楽しいがどうしても結びつかないのだ。
「料理ができないことは悪いことではない」「作らずに『買う』ことだって自炊である」「料理をしたくないときは、しなくていい」…
インタビューを読んで、「あ、そんなのでいいんだ」とホッとした自分がいた。
「料理をしなくちゃいけない」という呪縛―。
このインタビューを読んで、その呪縛から少し解放された気持ちになれた。
話は戻って、今回、魚の煮込み料理を作ったが、「煮込む」=「放置する」という勝手な考えがあったのだが、実際は違った。
煮込んでいる間、ずっと様子を見ていなければいけないし、煮汁を魚にかけ続けなければいけない。熱い。
だが、この作業が美味しくなるポイントの一つということもあり、せっせと煮汁をかけ続けた。
手間暇かけて、愛情込めて、というが、ちょっとした苦行も入っているのでは…?と少し思ってしまった。
大変な作業ではあるが、実際やってみた感想としては、作業的にはとても簡単に思えた。
毎度、おいしい料理を教えてくださる高さんには感謝です。(麗)