兵庫県外国人学校協議会、国会で発言~幼保無償化求め
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10月18日の院内集会には、兵庫県外国人学校協議会の会長、副会長も駆けつけ、連帯のあいさつに立った。朝鮮学校以外の外国人学校が、同じ場で連帯の意思を表明したことは意義深いことだ。それぞれ紹介したい。
同協議会は1995年に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災を機に、地域で共にある外国人学校同士、今後は協力し合いながら環境の改善や権利向上に努めようとの目的で結成された。兵庫県下にある5校のインターナショナルスクール、6校の朝鮮学校、1校の中華学校が加盟している。
会長の愛新翼さん(神戸中華同文学校名誉校長)は、学校ごとに方法は違えど、それぞれに協力し合いながら、多文化共生社会の実現のため地域社会に貢献してきた経験についてのべた。その上で、「加盟校を代表して発言したい」としながら、幼保無償化からの各種学校除外について言及。
「幼保無償化に期待があったが、具体的な内容が明らかになる過程で喜びは落胆に変わった。さまざまな施設の中で、各種学校だけが対象外になっており、その理由が『多種多様な教育をしているから』だという。安倍総理自身、多様性に関しては積極的な発言をしているのに、多種多様な教育をしている各種学校は対象外になり、理解に苦しむ」
除外を受けての心境についてのべながら、幼保無償化の関係府省に「どうか私たちの声を聞いてほしい」と訴えた。
「子どもは社会の宝であり、未来。先日、協議会の定例会議でも、各学校の校長・代表たちは『すべての子どもを支援することが必要であり、政府の意図で除外するのは受け入れられない』と仰っていた。このような状況が一日も早く改善され、子どもたちが健やかに成長できるようご協力願いたい」
続いて、協議会の副会長を務めるジェイ・バルクさん(芦屋インターナショナルスクール校長)が発言。英語ですらすらと喋るようすに参加者たちが通訳の心配をし始めた頃、「はい、今日は通訳がいないんでね、自分で日本語で話しますけれども」と流暢な関西弁に切り替え。参加者たちは笑いを漏らした。
ジェイ・バルク校長はアメリカ国籍の父と日本国籍の母のもとに生まれ、日本での生活は40年以上になる。結婚して15年になる日本人の妻と選挙に行った話を振り返りながら、「税金は払っているけど選挙権はない。なんでこの国に暮らしているんだろう?と疑問に思うこともある」と自身のアイデンティティについて説明。
「そこで今年、幼保無償化の話が飛び込んできた。対象外になるということを実感したのは5月」。ある保護者の問合せをきっかけに同校は幼保無償化の対象から外れるということを知り、県に問い合わせたが、具体的な返答はなかった。
「各種学校の校長としての立場や現場の声を知ってもらうのが今日の私の役目だと思う。その後に、制度をどう変えていくのかは国会議員が決めること。今日こうして私の話を聞いてくれるのはありがたい」と話した。
また、ジェイ・バルク校長は過去の児童の例を挙げながら「『多種多様』というもののなかにはいろんな可能性がある。日本の内外で子どもたちのしたいことを手助けしているのに、その機会を奪うのは間違っているんじゃないかな。待機児童問題の解消という面でも貢献している側面はあると思う。『外国人学校を排除している』とは言いはしないが、こちら側はそう思ってしまう。制度を見直してほしい」と切実な思いをのべた。
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院内集会のあと、記者会見が開かれ質疑応答が行われた。各幼稚園での具体的なカリキュラム、登園日など、具体的な運営についての質問があったのち、下のような問いかけもあった。
Q.10年前の高校無償化の際は、各種学校の中でも朝鮮学校だけが排除された。今回、各種学校という括りで外国人学校全体にまで除外の対象が広がったことを受けて、どのような思いがあるか。まさに国籍による線引きの話だと思うのだが。
A.ジェイ・バルク副会長
「インターナショナルスクールの校長たちの反応に関して言えば、正直ほとんどの方が実態をよく知らないと思う。私のように日本語が話せるのはかなり稀で、大体は秘書に通訳してもらいながら実務にあたる校長が多い。なので、正確には伝わっていないという感触。保護者もよく分かっていない。純粋に疑問を抱いている。
朝鮮学校の方たちは、この問題をすぐに理解して1年ほど前から動いていたと聞いた。私たちは最近ようやく、寝耳に水という感じで問題を理解し始めた。今後、インターナショナルスクールでも保護者がもっと疑問を持ってくるはず。その代わりにも私は今日、代弁に来た。非常にフェアじゃないという声は校長たちの中でたくさん上がった」
院内集会でのオモニたちの発言を聞きながら、ジェイ・バルク副会長は何度も涙を拭っていた。愛新翼会長もたびたび深く頷いていた。互いに欠けていた認識や知識、経験を補い合うことで、今後より広く連帯していけるであろうことが感じられた。(理)