京都朝鮮第一初級学校襲撃事件から10年、京都で集会
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「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件から10年 民族教育に対する攻撃とたたかう―ヘイト被害回復と民族教育権をめぐる日本社会の状況から」が12月22日、京都の龍谷大学深草キャンパス紫光館で行われた(主催:朝鮮学校と民族教育の発展を目指す会・京滋【こっぽんおり】、共催:龍谷大学犯罪学研究センター)。
冒頭、襲撃事件を振り返る映像が流された。
続いて、事件当時者、支援者、関係者らによるパネルディスカッションが行われた。裁判弁護団の豊福誠二弁護士、事件当時に京都朝鮮第一初級学校のオモニ会会長だった朴貞任さん、襲撃事件裁判を支援する会(こるむ)の事務局長を務めた山本崇記さん、徳島県教組襲撃事件裁判の原告である冨田真由美さんが出演した。事件当時、京都朝鮮第一初級学校アボジ会の副会長だった金尚均さん(龍谷大学教授)がコーディネーターを務めた。
パネルディスカッションに続いて、事件当時、校舎内にいた元生徒3人(現在はいずれも大学生)も壇上に立って発言した。
第2部では、ジャーナリストで『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』の著者である中村一成さんが「残された課題としての公的ヘイト」というテーマで講演を行った。
以下、パネルディスカッションでの朴貞任さんの発言内容を一部紹介したい
日常が一変した事件だった。襲撃者の人数は10数人だったが、その背後に、事件を称賛するサイレントマジョリティの存在を実感した。小さいころから差別をたくさん受けてきたが、怖いと思ったことなかった。朝鮮人として堂々と生きてこられたのは、民族学校に通い、自分のアイデンティティを培ったから。でも、この時はじめて怖いと思った。周りが全部敵に見えた。なぜ事件を止められなかったのか、10年経った今も宿題のように自分の心の中に残っている。
在日が裁判を起こしても勝ったことない、やっても無駄、傷つくだけ、警察も何もしてくれなかった、司法に訴えたところで自分たちを守ってくれる判決が出るわけない、かかわりたくない、早く忘れたい―。裁判をするうえで、さまざまな声が上がった。でも私たちがここで黙ったら第2、第3の事件が起きる。ここで止めないといけないと民事裁判に踏み切った。最後には、やってよかったと思えた。失ったものも多かったが、得たものも多かった。
顔と名前を出して事件を語り継いでいく活動をしてきたのは、自分の中で事件を風化させたくない、なによりも事件を繰り返したくなかったから。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムはまだ続いている。被害の回復は道半ば。高校無償化、そして幼保無償化からの朝鮮学校除外、民族教育権の侵害―私たちの奪われた尊厳はまだ回復されていない。
事件当時の生徒たちからは、
事件の動画を初めて見た時、衝撃を受けた。それ以上に胸をえぐられたのが、在特会に同調するような発言で埋め尽くされていたコメント欄だった。
ヘイトスピーチの被害を受けたのは自分たちが悪いことをしたからではないのか、と自分の存在を否定してしまった。でも、「あなたの周りは敵より味方の方が多い、安心して」という周囲の大人の言葉に救われた。
事件の前までは、差別された経験もなく、在日に対する差別は実態のないものだと思っていたが、その日を境に日本社会を見る目が変わった。
ヘイトや差別を容認する日本社会は、長い年月をかけて作られてきた大きなアリの巣のようなもの。高校無償化除外や幼保無償化除外といった官製ヘイトとも地続きだと思う。
朝鮮学校を取り巻く環境を見る時、「かわいそうな朝鮮学校の子どもたち」に終始する意見は危なっかしい。構造的な部分にも着目すべきではないか。
といった声が上がった。
4時間半を超える長丁場となったが、非常に内容の濃い集会となった。
集会の場では、事件を通じた連帯、出会い、つながりが多く語られた。裁判を軸にしたたたかいに多くの人びとが連なった。この日の集会もそんな運動を通じてできた貴重なつながりの産物だった。
事件から10年。事件を機にヘイトクライム、ヘイトスピーチが社会問題化した。裁判には勝利したが、ヘイトクライム、ヘイトスピーチの問題は解決していない。被害回復のプロセスも道半ばだ。高校無償化、幼保無償化からの朝鮮学校除外、地方自治体の補助金減額、支給停止など朝鮮学校の民族教育に対する攻撃は終わっていない。このような「官製ヘイト」が蔓延する状況といかにたたかっていくのか。
この日の集会は今後の課題を考えるうえでも多くの示唆を与えてくれる場になったように思う。(相)