保育園の内定通知書が届いた
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2月某日。
その日は土曜日で、午後から群馬の前橋で仕事だった。
夕方、仕事を終え、東京行きの電車に飛び乗る。
もう数駅で降車、というタイミングで妻からLINEメッセージが入ってきた。
「息子を病院に連れて行くことになった。付き添ってほしいので、病院の最寄り駅で落ち合おう」
なにごとかと思ったが、くわしい状況を聞くのは後回しにして、待ち合わせの駅に急行。そこから夜間診療対応の病院に駆け込んだ。
診察の結果は…とくに問題なし。親の「心配しすぎ」「取り越し苦労」だった。
最寄り駅で電車を降りて、自宅へと帰る道すがら。
その日は、夫婦そろって、役所から届くであろう通知のことがずっと気になっていた。
保育園の内定通知書―。
希望する保育園に入れるかどうか、その結果は前日の金曜日に出ていた。各家庭への通知が郵送でなされることも事前に聞いていた。
昨日、結果が出ているので、今日には通知が届くはず。いや、土日を挟むので、もしかしたら週明け?
日中に妻から「郵便配達の車の音が聞こえたので、郵便受けを確かめてみたけど届いていなかった」という連絡を受けていた。今日じゃないのか…でも、配達は一日に複数回あるので、まだわからない―。
もしかすると、届いているかもしれない。おそるおそる郵便受けを開けた。そこには役所の名前が印刷された大きめの封筒が入っていた。
「あっ!」
内定通知の場合は大きい封筒で届くんだって―。どこでそんなことを調べたのかわからないが、妻がそう言っていたことを思い出して、思わず声が出た。
送り主は役所の担当部署。もう間違いない。
家に入るまで待てずに、その場で封を開けた。
「内定通知書」という文字が目に飛び込んできた。
「やった!」
「よかったぁ」
そんな親の事情などあずかり知らぬ生後5ヵ月の息子は母親の胸の中で眠りこけていた。
「保育園落ちた、日本死ね!」
そんなセンセーショナルなタイトルのブログが話題になったのは4年前。
当時、イオでも待機児童の問題を誌面で取り上げて、取材も担当した。結婚はしていたが、子どもはいなかったので、取材していてもどこか他人事だったような気がする。
共働き夫婦にとって、認可保育園に子どもを入れられるかどうかは、文字通り死活問題だ(低所得であればなおさら)。遅ればせながら、当事者になってみて、そのことを実感した。
この間、書類の作成から始まって、保育園の見学、役所への申し込みにいたるまで、育休も活用して妻と二人三脚で「保活」に取り組んだ。次回のエントリで、その過程を振り返ってみたい。(相)