映画「血筋」、来月から上映
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「핏줄/血筋」という映画が来月以降、日本各地で上映される。たまたまネットで見つけた作品だが、監督が中国朝鮮族の青年ということで興味を持ち、コンタクトを取って作品を観せてもらった。以下、イオ3月号で紹介したレビューに少し補足もして紹介したい。
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対話の中に流れる“血”
中国・吉林省延吉市で、中国朝鮮族の両親のもとに生まれた角田龍一さんが本編の語り手であり、監督だ。母の再婚を機に10歳で日本へ渡り京都で育った角田さん。大学に在学中、老いゆく祖父母の姿を記録したいとの思いから休暇のたびに故郷へ行ってビデオカメラを回した。
一方で、第三者からの言葉をきっかけに自身の生い立ちの面白さにも気づかされ、作品としての発表を視野に入れるようになったという。それに伴い、両親の離婚後、18年間いちども会わなかった父親を探す物語を加えようと決めた。約80時間にも及ぶ映像を編集し完成させたのが本作「핏줄/血筋」だ。
父親の手がかりを得た監督は韓国へ。再会に喜ぶ父親は饒舌に語り続け、息子への愛情を示すかのように食事やスーツ、旅行などさまざまなものを与えようとする。しかし、その困窮した暮らしが露呈するまでに時間はかからなかった。不法滞在者である父親は、借金に追われながら日雇い労働で生活をつないでいたのだ。
見栄、プライド、罪悪感…。感情がせわしなく去来し、息子の言葉は父親に、父親の思いは息子に届かない様子がもどかしく、切ない。しかし、ぎこちなく進んでは途切れる対話の中にこそ、むしろ二人を結ぶ、消すことのできない“血”が感じられ、ある種の可笑しさもにじむ。
他者とのつながりと自身への理解という、時に相反するものを求めてしまう人間の普遍性が表れた作品だ。同時に、自身に連なる歴史や背景の説明を極力省く淡々とした構成で、観る者の文脈に解釈を委ねるユニークな映画でもある。
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ナレーションは日本語だが、登場人物たちの会話はほとんどが中国語や朝鮮語。日本語字幕の翻訳作業もすべて監督自らが行った。ニュアンスの微妙な違いに試行錯誤して選び取った言葉の一つひとつは、会話に込められた感情や温度を絶妙に反映しているように思われた。朝鮮語が分からない人でも、より近い感覚で理解できるだろう。
悩んだのが肝心のタイトル。「핏줄」に込められた深い意味を、直訳である「血筋」で置き換えることになんとなくしっくりこない感じを受けたと話す。考えた末、「消すことができないもの」などの意味を持つ英単語「Indelible」を並べることで納得したそうだ。
ごくごく個人的な人間関係を記録しながらも、レビューの最後にも書いたようにある種の普遍性が感じられる。中国朝鮮族の人々の前で上映した時は、多くの人が「これは自分の物語だ」と涙を流したという。
これまでは自主上映が続けられていたが、ついに劇場公開が実現。3月には新潟と東京、4月に大阪、5月に京都と兵庫、以降も長野、愛知、山口で予定されている。前売券の販売も始まった。前売券購入者には、監督の直筆メッセージが入ったポストカードが贈呈される。気になる方は同HP内で予告編や概要をチェックしてみては。(理)
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