歴史の書き換えを許してはいけない―/関東大震災時朝鮮人虐殺に関する学習会
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関東大震災時(1923年9月1日)の朝鮮人虐殺について深く考え行動する場を作り、歴史的事実をより広範な人々に知らせることを目的としたプロジェクト「1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動」(以下、「記憶する行動」)が、8月25日に学習会を主催した。
「記憶する行動」が発足したのは昨年9月。上記の目的に加え、ひいては日本政府による真相究明、事実の認定、謝罪を獲得すべきとの観点から、これからの世論を形成する若い世代を対象に“学び直し”のためのフィールドワークや学習会を重ねてきた。
今年は連続学習会を企画。25日の第4回学習会では、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」の事務局長を務める田中正敬さん(専修大学文学部教員。主な論文に『地域に学ぶ関東大震災―千葉県における朝鮮人虐殺 その解明・追悼はいかにしてなされたか』など)が、「各地の関東大震災朝鮮人虐殺の実態と追悼・真相究明の取り組み」というタイトルで講演を行った。
新型コロナウイルス感染防止対策のため会場には入場制限があったが、内容はYouTubeでもリアルタイム配信された。田中さんは、関東大震災時に日本の軍隊・警察・民衆が行った朝鮮人虐殺の実態と、地域の人々のはたらきによって進展してきた真相究明の取り組みについて解説。
田中さんは朝鮮人虐殺が起こった原因として、▼「朝鮮人が暴動を起こす」という予断をもとに日本政府が軍隊を出動させ、戒厳令を敷き、さらに無線や地方官庁を経由して流言を流して各地方に朝鮮人への警戒を指示したこと、▼戒厳令のもとで軍隊が治安出動したこと、▼朝鮮半島への侵略と植民地支配の過程で、日本政府や日本人の中に朝鮮人への蔑視や敵愾心、恐怖から来る排外的な意識があったこと―を挙げた。
次に田中さんは、史料をもとに自身が作成したという表を参照しながら、軍隊による朝鮮人虐殺の実態について解説。表には、虐殺が行われた日時、場所、犠牲者数、殺害の方法、連隊名、軍隊が殺害した相手などがまとめられている。
参考にした史料は、『関東戒厳司令部詳報 第三巻』より「震災警備の為兵器を使用せる事件調査庁」というもの(※省略が可能な箇所や誤った記載の修正など、田中さんが一部原典を改編)。戒厳軍の司令部内で作成した公的な文書だという。田中さんは、「ここに記されている虐殺は政府機関が事実として認定しているものですから、軍隊が朝鮮人虐殺を行っていることを証明できる大変貴重な史料であることは間違いありません」と強調した。
さらに田中さんは、過去にこの史料に関して政府への質問が行われていたことを紹介。2017年4月に有田芳生参議院議員が、関東大震災時の朝鮮人虐殺に軍隊が関与した証拠ではないのかと文書で確認したことがあるという。しかし、政府は「調査した限りでは、(史料)が政府内に見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である」と回答。
「これは、こういってしまって差し支えないと思うが、明らかに虚偽答弁です」。経緯を説明した田中さんはそうのべた。
「なぜならこの史料は東京都公文書館に所蔵されていて、公刊されている資料集の中にも収録されています。確認などすぐにできます。また、内閣府に中央防災会議という組織がありますが、ここが出した関東大震災の報告書にもこの史料に関する言及があります。調べようと思えばたちまち所在が分かります。…中央防災会議の会長は誰だかご存知でしょうか。安倍総理大臣です。麻生副総理をはじめ、森まさこ法務大臣など、閣僚らが委員として名を連ねています。分からないはずがありません。文書の存在を確認してしまうとたちまち虐殺の国家責任を追及されるので、なりふり構わず存在しないと言い張っているのです」(田中さん)
手の届くところにあるものを無いと言い張り、歴史から目を逸らし続ける日本政府。そんな中でも、在日朝鮮人とそれに協力した日本人によって、戦前から追悼や実態調査が進められてきた。現在、追悼碑は東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県に27基あり、追悼行事は中国人や日本人犠牲者のものをあわせて毎年国内13ヵ所、加えて韓国でも行われている(田中さん調べ)。
続いて田中さんは、日本国内における歴史修正主義の動きに言及した。2017年、小池百合子東京都知事は、横網町公園で毎年行われている追悼式典に追悼の辞を寄せることを拒否。その理由を「さまざまな内容が史実として書かれている…だからこそ、何が明白な事実かについては歴史家が紐解くものだと申し上げている」としている。
田中さんはこれに対し、「何が事実か分からないという趣旨の発言は、明白な事実としての朝鮮人虐殺を認定することを避ける役割をしています」としながら、「いま最も大きな問題は、虐殺の隠蔽や正当化、否定を目的とする議論が当たり前になり、私たちが慣らされていくことだと思います。それに抵抗するためには、基本的な知識や問題意識を持っておくことが必要です」と強調した。
最後に田中さんは、日本の中学校の歴史教科書から関東大震災に関する記述を紹介。「…死者・行方不明者は約10万5000人に達しました。混乱の中で『朝鮮人や社会主義者が井戸に毒を入れた、暴動を起こす』といった流言が拡がり、多くの朝鮮人、中国人や社会主義者などが殺されました」という部分を示しながら、“混乱”という言葉の曖昧さ、無責任さについて指摘した。
「これでは誰が、なぜ混乱したかが書かれていません。権力側が自分の加害責任を秘匿するため、『混乱していたからやむを得なかった』という宣伝のためのこの言葉を使っていることからすると、この教科書の記述は、まんまとその宣伝に乗せられているということになります」
田中さんは、慣用句のように出てくる言葉にも疑問を持ち、一つひとつの言葉を吟味しながら虐殺が起こった原因を認識すること、その上で、この問題を明らかにすることが社会にどんな意味を持つのか考えることが大切だと呼びかけた。
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明日は9月1日。関東大震災から97年という月日が経っているにもかかわらず、前記の通り朝鮮人虐殺に関する真相究明は驚くほどなされていない。加害の張本人である政府の責任が問われないよう、事実が幾重にも隠蔽・正当化されてきたひずみが、いま日本社会のあらゆる場面に影響を及ぼしている。歴史を書き換えられないよう、声を上げ続ける人々がいる。取り組みの一つ、横網町公園での追悼行事はイオ10月号でも紹介する予定だ。(理)