マラドーナが亡くなった
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巨星墜つ。
サッカー界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナが11月25日、亡くなった。
1980年代前半から中盤にかけての筆者の朝鮮学校初級部時代。男子児童が入る部活といえばサッカー部だったそのころ、数多のスタープレイヤーの中でも子どもたちのナンバーワンのヒーローといえばマラドーナだった。86年のメキシコワールドカップで母国アルゼンチンを優勝に導いたプレーや当時所属していたクラブチーム・ナポリでの活躍―。そのファンタスティックなプレーにみな度肝を抜かれ、憧れ、夢中になった。
マラドーナは引退後、サッカー以外の面でも世間の注目を集め続けた(いい面でも、悪い面でも)。
マラドーナの腕には、同じアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラの顔のタトゥーが入っている。脚には、ゲバラらとともにキューバ革命を主導した、のちの同国の指導者フィデル・カストロも彫られていた。
現役引退後、体調を崩し、いっときは危険な状態だとも伝えられたマラドーナが治療のために足を運んだのがキューバだった。キューバと同じく、米国に異を唱えたベネズエラのチャベス大統領ら中南米の国家指導者たちとの親交に加えて、マラドーナ自身の反米スタンスや発言も大いに注目された。
このようなマラドーナのサッカー以外の一面は、2008年に公開されたドキュメンタリー映画「マラドーナ」(エミール・クストリッツァ監督)でうかがい知ることができる。巨匠クストリッツァとマラドーナの組み合わせからして面白いのだが、作中で描かれている内容もなかなかに興味深い。一見の価値ありとおすすめしたい作品だ。
享年60。この世を去るには若すぎる。(相)