「全国大会」参加の訴えは、大阪から―はじまりの歴史を振り返る
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大阪朝鮮中高級学校ラグビー部の「花園4強」に、これほどの感動と感慨を覚えるのは、朝鮮高級学校(朝高)が長い間、全国高等学校体育連盟(高体連)が主催するすべての公式試合に出場できなかった歴史が長かったからだ。さらには門戸開放の第一歩が、今から30年前、大阪朝高から始まったからに他ならない。
以下は、『高校無償化裁判~249人の朝鮮高校生 たたかいの記録』(月刊イオ編集部編、2015)から抜粋。
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日本の高校スポーツの総本山・高体連は、加盟資格を学校教育法第1条で定める「学校」(1条校)に限定し、各競技団体もこれにならっていた。朝鮮学校の生徒はなぜ同じ舞台に立てないのか―。
固く閉ざされた扉を開こうとする動きは大阪から始まった。
朝高の高体連加盟問題は1990年5月、大阪朝鮮高級学校の女子バレーボール部をめぐって起きた一つの出来事が発端となりクローズアップされる。
同年3月、同部が大阪高体連への新規加盟を認められ、府の春季大会へエントリーする。資格のない朝高に出場を認めてしまった高体連側の「ミス」だったのだが、これが後に大きな問題を引き起こす。
同大会の1次予選を突破し、2次予選出場を決めた大阪朝高に大阪高体連から連絡が入った。「規約上、朝鮮高級学校は高体連へ加盟できないことに気づいた。大会には出場できない」。いったん参加を認められ、予選を勝ち進んでいたのに、途中で締め出されたのだ。
90年6月から8月にかけて全国の朝鮮高校12校が各都道府県高体連へ、朝鮮高校校長会が全国高体連へそれぞれ加盟申請書を提出。
「私たちは日本に住む高校生です。私たちは悔しい思いをしましたが、後輩たちにはこんな思いをさせたくありません。どうか、後輩たちに道を開いてください」。
同校バレーボール部キャプテンの趙日順さん(1972年生まれ、当時高3)は、高体連の幹部を前にこう訴えた。
朝鮮高校の高体連加盟に向けた取り組みは全国に広がっていく。
「大阪から突破口を開こう、まずは世論に訴えようとマスコミに声をかけて、支持してくれる日本学校の教員たちにも働きかけた。大阪高体連には何度も通った。理事長に力添えを頼むと、『スポ―ツに国境はない。いっしょにやりましょう』と言ってくれて、うれしかった」。
当時、大阪朝高の副校長を務めた兪基奉さん(1941年生まれ)の回顧だ。
90年11月には大阪府内の大会に限り、朝鮮高校の参加が認められる決定がなされ、京都と兵庫も続くなど、地域レベルでは徐々に門戸が開かれていった。しかし、11月の全国高体連理事会は、朝鮮高校の加盟と大会参加のいずれも従来どおり認めないとする決定を下す。
これに対し、東京、茨城の両朝鮮高校のサッカー部監督が「人権侵害の不当な差別」として、日本弁護士連合会(日弁連)に人権侵害救済の申し立てを行った。
92年10月、日弁連は、朝鮮高校に加盟を認め各種競技大会に出場できるよう指導、処置を求める勧告を文部省に、要望を高体連に提出した。
一方、91年3月には高体連に先駆けて高野連(日本高校野球連盟)が外国人学校に門戸を開いた。
運動はその後も盛り上がりを見せる。
朝鮮高校生らの署名活動に日本学校の生徒が協力を申し出たほか、日教組は独自に20万人署名運動を展開した。
こうした内外の世論に押された高体連は93年5月の理事会で、朝鮮学校を含む専修・各種学校に対し全国高等総合体育大会(インターハイ)への参加を承認。同年11月の理事会で正式決定した。
しかし、高体連への加盟は認めず、あくまでも「特例措置」としての扱いだった。(地方レベルでは94年、広島県高体連が独自に広島朝鮮高校の「準加盟」を認めている)
「インターハイ元年」の94年、ボクシング種目に12人の朝鮮高校選手が出場。96年までに高体連主催の全競技大会への参加が可能になり、現在まで、サッカー(大阪、京都、広島)、ラグビー(大阪、東京)など多くの種目で朝鮮高校の選手が好成績を収めている。一方、中体連も97年度から外国人学校の全国大会の参加を認めた。
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歴史を振り返ると、朝高生の訴えに真摯に向き合った教育者、同胞、そして日本市民の存在があって、今日の門戸開放があることがわかる。
「全国大会」出場が実現して24年、朝鮮高校と日本の高校生たちは等しく開かれたステージで、正々堂々と戦い、たたえ合う姿を、私たちに見せてくれた。
一方、朝鮮学校が置かれた窮状を思わずにはいられない。
高校無償化(就学支援金)制度が実現された2010年、朝鮮高校は外国人学校の中で、唯一その対象から外された。
そして、まっさきに朝鮮学校への補助金を打ち切ったのは、大阪府と東京都だった。
高体連の門戸開放以降、朝鮮学校への大阪府の補助金が拡大を続けたのは、スポーツを通じた民族教育への理解があったからだ。
今日の子どもたちを取り巻く教育環境の改善に、過去の歴史を生かしてほしい。
ましてや今はコロナ禍。
日本政府や行政を司る人たち、大人たちに声を大にして伝えたい。(瑛)
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朝鮮新報「つくりびと~File3.汗と涙で掴んだ「全国」の舞台~(前編、後編)」で、「全国大会」出場までの道のり、「全国」舞台における朝高生の活躍を動画でまとめている。
「つくりびと~File3.汗と涙で掴んだ「全国」の舞台~(前編)」
https://www.chosonsinbo.com/jp/sinbotv_cpt/1229-2/
つくりびと~File3.汗と涙で掴んだ「全国」の舞台~(後編)
https://www.chosonsinbo.com/jp/sinbotv_cpt/1231/