学習会「朝鮮学校の裁判闘争を通じて見た民族教育の課題」/大阪地裁勝訴を糧に
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「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」が主催する第4回オンライン学習会「朝鮮学校の裁判闘争を通じて見た民族教育の課題」が1月28日、19時半から2時間にかけて行われた。
大阪では高校無償化を求める裁判と、大阪府と市に対して補助金支給を求める2つの裁判を闘うなか、大阪地裁で歴史的な勝訴(17年7月)を勝ちとったものの、最終的には朝鮮学園側の訴えはすべて退けられ、敗訴の結果に終わった。
全国5ヵ所で行われてきた高校無償化裁判は残る福岡、広島が最高裁に上告中で、19年からは新たに幼保無償化や学生支援緊急給付金から朝鮮学校が排除される問題が起きている。学習会は、裁判闘争の意義を共有しながら、今後の課題を認識し、運動の展望を切り開いていく機会にしようと開かれた。
鄭栄桓・明治学院大学教授(在日朝鮮人史)、趙慶喜・韓国聖公会大学教授(社会学)、金英哲弁護士(大阪朝鮮高校無償化・補助金裁判弁護団)を招いての勉強会は、朝鮮学校出身といった当事者性を強く持ちながらも、専門分野から裁判闘争を見る知見が披露された。
朝鮮学校に責任転嫁、の転倒
鄭教授は、そもそも高校無償化法は、外国人学校の生徒にも就学支援金を支給するという画期的な法律だったにも関わらず、法律に明記された朝鮮高校生の学ぶ権利を日本政府が侵した「権利侵害の問題」だったと指摘。
しかし、制度が発足した当初から、朝高を排除した文部科学省への責任は棚上げにされ、「朝鮮学校の問題」であるという転倒した形で世論に訴えられ、多くのマスメディアが朝鮮学校の教育内容を問題視し、問題の構図が「朝鮮学校は無償化にしてあげるレベルの教育内容なのか、どうか」という形に話が変わっていったと伝えた。無償化排除と軌を一にした、大阪府知事による補助金削減など、上からの差別についても例示した。
鄭教授は、在日朝鮮人の民族教育をめぐっては、解放直後から冷戦時代に作られた枠組みが1990年代から変化し、門戸開放の流れが進んだものの、2000年代に入っては日本独自の対朝鮮制裁の中で、在日朝鮮人も制裁の対象とみなされ、03年の大学受験資格、10年の高校無償化において朝鮮学校が排除された流れを確認した。
「現代の民族教育侵害は、1940年代以来の古さと同時に90年代以降の北朝鮮バッシング、2000年代の制裁による侵害という新しさを持っている。朝鮮学校を差別すべきだという主張と、差別してはならないという主張のどれもが、朝鮮学校の教育内容を干渉する論理になってしまった。高校無償化裁判は、この転倒した問題の構図をもう一度引き直そうした、非常に重要な意義を持っていた。朝鮮学校や朝高生が原告となって、日本政府を相手どって正面から権利の回復を訴え裁判を起こした点に画期的な意義があった」―。
鄭教授はこのようにのべ、大阪地裁の勝訴を含め、裁判闘争を通じた経験が、「狭い日本の多文化主義の論理を越え、展望を開けていけるものだ」と訴えた。
脱冷戦期の韓国社会と朝鮮学校
「脱冷戦期の韓国社会と朝鮮学校:20年間の変化を振り返る」と題して講義した趙慶喜教授は、1990年代から韓国社会の朝鮮学校認識がどのように変わってきたのかを伝えた。
2004年から韓国で暮らしてきた趙教授は、2000年6月の南北首脳会談後に実現した、総聯故郷訪問団が大きなきっかけになったと指摘。64人の1世の総聯同胞たちが「朝鮮半島冷戦体制の犠牲者だった」とメディアが報じたこと、映画「ウリハッキョ」が生まれ、07年に韓国の国会で上映されたことや、民放のテレビ局が在日朝鮮人や朝鮮学校に関する詳しい特集を組んだこともあげた。
20年間で交流が増えたものの依然、総聯が国家保安法の反国家団体として含まれている客観的条件は変わっていない、と制度的な限界をのべつつ、「朝鮮学校との出会いを通じて分断体制を考えると同時に、民族教育の機会を持てなかった人たちの存在を見つめることで、このことが韓国政府の民族教育への弾圧と無関心への反省を促す方向に向かうべきだ。高校無償化などを通じた朝鮮学校支援は、民族、分断、人権の観点から在日朝鮮人と韓国社会との関係を省察していく契機になりつつある」と歴史的省察の必要性を語った。
2つの裁判闘った金英哲弁護士も
次の語り手は、無償化、補助金の2つの裁判を最前線で闘ってきた金英哲弁護士。「無償化裁判を通じた民族教育の課題は、敗訴してしまったことだ」と切り出し、「法律を使った裁判によって権利を勝ちとることが可能だったのか、勝ちとれるとしたら何をすればいいのか」をテーマに話した。
大阪無償化裁判は行政を相手どった行政訴訟で、原告には圧倒的に不利な闘いだったが地裁で勝訴。このすごさは「朝鮮学校のいち部活が日本代表に勝ったくらいのものだ」と例えながら、勝因の要素は、時間をかけた主張立証、イメージアップ大作戦だったと振り返った。
「傍聴席を満員にして、アウェイの闘いをホームにする。朝鮮学校を紹介する記事、雑誌、ビデオを積極的に提出し、当事者の悲痛な思いを伝えるために陳述書やアンケート、支援活動の様子も裁判所に伝えた。声を届け、心を動かすために活動した結果、勝訴を勝ちとり、朝鮮高校を指定するための、規定ハ削除の違法性が認められた」(金弁護士)
しかし、高裁では、国を勝たせるための露骨な訴訟指揮が取られたと悔しさをにじませながら、何百ページに及ぶ上告理由書、上告受理申請書を作成したが、最高裁は上告を退け、仕事を放棄。裁判をもっと早く始め、高裁で勝訴し、時が民主党政権時なら無償化が適用されるチャンスがあったのではないか、と私見をのべた。また、敗訴したのは2010年度の申請にかかる不指定処分だったので、その他の申請については争えるだろうと意見した。
最後のまとめでは「日本の植民地支配の清算をもっと強く問うべきだ。冷戦と分断で出会えなかった痕跡から力を得て、未来を展望してくことが重要な取り組みになる」(鄭教授)、
「日本社会の右傾化は高まっているが、他方では国境を越えて信頼関係を構築できるチャンネルは多方面に出てきている。韓国社会が朝鮮学校の持つ力を学ぶ必要がある」(趙教授)、
「裁判は法律というルールのもとで原告と被告が闘う試合で、最後まで結論がわからない。裁判を起こした場合のメリットデメリットを考えたうえで、どうすれば権利を勝ちとれるのかを考えることが大切だ。少数者であっても普遍的な権利を勝ちとれるよう、皆さんと一緒に活動していきたい」(金弁護士)などの意見が出された。(瑛)