イオ300号に向けて
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1996年7月から始まったイオが、今年の6月号で通巻300号を迎えることになり、300号の特集を考えるために編集部で議論を重ねている。先日は、月刊イオの初代編集長と数人で会い、「同胞メディアの明日」について話をした。
イオが創刊されて25年目になるが、これは一つの世代が一巡したと同じような月日。
「創刊当時の30、40代は2世が主流だった。一世のように義理人情を大切にする人も多かった」
「世代交代による構造的な変化をどう捉えるか」
「同胞たちの意識の変化に伴い、従来の方程式が通じなくなっている」ーなどの言葉が印象的だった。
私たちイオ編集部員の多くは、日本にある朝鮮学校の出身で、同胞コミュニティの中で生活をし、取材もしているが、そのコミュニティの「外」にいる人たちの感覚、生活をどれだけ想像できるかが、ますます試されていると感じた。
なぜなら、イオを読んだ読者が「自分に関係がない」と感じてしまった場合、次にイオを手にとろう、と思うことはあまりないだろうと。議論の中で出た「居場所」という言葉にも考えさせられた。
また、メディアがどんどんネットへと移行するなか、紙のメディアのストロングポイントが何か、という話も再三考えてきたものの、紙とネットとの差別化については、対策が甘いと改めて感じたしだい。
紙で読まれないものがネットで読まれるだろうか―。
「中途半端なネット移行は、良質な読者を失う」という言葉は、その通りだと感じた。
2年前から、本誌はキャッチコピーを「在日コリアンをネットワークする」から「コリアにつながるすべての人へ」に変えた。
同胞社会で、日本人との国際結婚が増え続けるなか、自分を在日コリアンと自認する人はどれくらいいるのだろうか?
たとえば、「朝鮮・韓国籍」者の多くが日本国籍を取得する現状をどう考えるべきかについても、いざ企画にしようとなると、なかなか答えがでない。悩みぬいていないからだ。
私たち同胞メディアが生まれた原点は、自分たちの声を発信する場がなかったからで、どこにもなかったから、一世たちは、同胞のためのメディアを作った。
そして、祖国解放から75年がたった今も、いまだに同胞メディアが必要なのは、日本による朝鮮植民地支配、祖国解放とともに訪れた分断と、植民地宗主国・日本に残った差別により、同胞社会がいまだに断絶されているからで、人々をつなげる役割が「同胞メディア」に求められているからだろう。
しかし、大切なことは、イオを手にとったときに、同胞たちがこのことを「感じるかどうか」だと思う。
異論もたくさんあるだろうし、同胞メディアへの期待と役割がしっかり果たさせているだろうかを、「自省」する視点がなければ、同胞たちが見ている景色は見えてくることはないー。
300号発刊まで約2ヵ月。限られた時間の中でも、イオが生まれた原点と今後の可能性について、地に足ついた議論を重ね、将来につなげられる企画を生み出したいと思っている。(瑛)