時代の流れに乗れていない①
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最近、日本でもClubhouseが流行っている。
シリコンバレー発の同アプリは、従来のSNSとは違って、文字や映像、画像が一切なく、声だけで世界中のだれとでもつながることができるアプリである。有名な学者や、世界で活躍する経営者、フリーランサー、あらゆる職種の人の話や雑談を聞いたり、相談をすることもでき、運が良ければ著名人と話せる可能性もある―らしい。
ただ規約として、メモや録音、一切の記録が禁止されており、アーカイブも残らない。「その場限り」の交流であること、また、完全招待制=「選ばれし者」感が人気を後押ししているのではないか、と言われている。
私はあまり流行に乗るタイプではないので、正直、まったく興味がわかなかった。そして、他人の雑談を聞いて楽しいのか、とも思っていたし、周りの知り合いが次々と「Clubhouseはじめてみた!」という投稿をし出したときは、妙な特権性を感じ、「絶対にやるもんか」と高を括っていたのだが、いざ招待がきたら「どれどれ、見てみようじゃないか」と、すぐアカウントをつくったのである。
しかし、いざ始めるも、結果から言うと、私にはまったく合わなかった。
誰でも参加できる恋愛相談や人生相談、「こんなことありました」を語るトークルーム、芸能人の一人語り=独演会のようなものを聞くルーム、脳科学者に相談できるルーム、芸能人同士の雑談を聞くルーム、ただひたすら参加者全員がピカチュウの鳴き真似をするルーム…本当にいろいろなトピックがあるのだが、おそらく私は赤の他人の雑談に興味が湧かないのであろう(笑)。
「脳科学者の相談室」的なトークは、参考になることが多いのでたまに聞くが、そのような人はYouTubeで動画を残していたり、SNSで「文字」で発信していることが多かった。
ジャーナリストや活動家のトークは勉強になるが、ためになる部分は、いつか記事としてしっかり発信されるだろうと思っている。
一方、一般人同士の「人生を語る部屋」のようなものを覗いてみると(私がのぞいたルーム、のぞいたタイミングがそうだっただけかもしれないが)、相談者が「こんなことがありました」と言うと、「うわ~、わかる!」「あ~、そういうことありますよね」「なにそのシチュエーション!やばい!」と、リアクションしているだけの雰囲気だった。
共感よりも「答え」がほしいタイプの私としては、あまり意味を見出せなかったのである。
そんなこんなでClubhouseの面白さをいまいち見出せておらず、相変わらず流行には乗れていない。それどころか、最近の自分は、流行と逆流してかなりアナログ化している気がする。(蘭)