名刺と15年目に突入
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先日、自分の名刺が過去のキャッチコピーのままなので、そろそろ再度刷らねばと思い立った。
私はデザイナーという職種なので、名刺がなかなか減らない。
新キャッチコピーに変えるのは再度刷る時でいいかと思っていたが、
このままだと永遠に新たにできない気がして、
新規に名刺を刷ることにした。
このままだと永遠に新たにできない気がして、
新規に名刺を刷ることにした。
データを自身で作成していると、
どうせなので会社の個人メアドも新規にできないかと思い立った。
個人メアドは、入社時に自分で決めて、その後簡単に変えてはいけないのだが、
毎日あまりにも多く迷惑メールがきて大事なメールを探しにくいのが
結構なストレスになっていた。
なので相談し、この機に変えられることに。
このメアドともおさらばかと思うと、ふと入社時を思い出した。
私は中途採用だったので、入社したのが3月7日だった。
そう、あと3日で丸14年が経つ。
そして、来週には15年目に突入だ。
イオは締め切りが毎月10日だったので、7日はかなりの繁忙期。
初日挨拶に出向いた際は、編集部はかなりピリピリした空気で、
大変な職場に来てしまった感を受けた。
大変な職場に来てしまった感を受けた。
入社当時は、雑誌デザイナーという職種があることも知らず、
何がわからないのかもわからない状態。
特にイオは同胞大衆紙ということもあり、
自身が理解しなくてはならないことが多分にあった。
自身が理解しなくてはならないことが多分にあった。
必死にメモを取り、ソフトの操作、フィルム一眼レフの操作を覚え、
雑誌デザインの基礎を叩き込まれたりして、夢にまで締め切り日に追われていた。
雑誌デザインの基礎を叩き込まれたりして、夢にまで締め切り日に追われていた。
入社して一番驚いたことがある。
とある号の完全入稿日に重要なデモ行進があった。
締め切り日だが、2頁分の記事としてその号に組み込むこととなった。
デモ行進を取材し、すぐに書き下ろし、
写真を選定、記事も即組み込んでレイアウトし、
2頁分の誌面に仕上げ、校正を回す。
そして当日夜に滑り込みセーフで入稿した。
第一線で活躍するプロの技を見せられているようで、ただただ脱帽。
締切を無事終えられたその日、若者たちで飲みに行ったのだが
あの日の脱力と安堵感は結構なもので、いまも覚えている。
あの日の脱力と安堵感は結構なもので、いまも覚えている。
私は果たしてついていけるだろうかと一気に不安にもなったからだ。
それでも当時は
パッチギを作った井筒和幸監督のインタビューへ同行させてもらったり、
パッチギを作った井筒和幸監督のインタビューへ同行させてもらったり、
ジェームス三木さんの撮影を担当させてもらったりと、
本当に貴重な場を経験させてもらい、
本当に貴重な場を経験させてもらい、
少しずつ、雑誌編集の何たるかを学ばせてもらい、
面白みも段々とわかってきて、いまもこの仕事を続けられている。
自身の環境が変わったあとも続けてこられたのは周りの支えもあるからだ。
15年目に突入するいま、
自身の立ち位置をしっかり認識しなくてはいけない時期に差し掛かったような気がしている。
自身の立ち位置をしっかり認識しなくてはいけない時期に差し掛かったような気がしている。
300号に向けて、これからのイオをより面白くするためにも
今後もできることをひとつひとつ尽力していきたい。(愛)