「記者のアルバム」in淡路島
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今年1月号から始まった新連載「記者のアルバム」。毎号共通したテーマを設けず、イオ編集部の記者がそれぞれの関心に沿って歩いた場所を写真と文章で紹介するカラー4pの企画だ。
これまでに、広島・尾道(1月号)、山梨県(2月号)、福島・浜通り(3月号)と、場所も視点もさまざまな現地ルポが紹介されてきた。
4月号の担当が自分に回ってきた時、しばらく考えて「淡路島なんてどうだろう」と思い立った。その時点ではなにか特別な理由や目的があったわけではなく、「イオではあまり取り上げたことがないし、もし同胞がいたら貴重な出会いになるだろう」と感じたからだ。ちょうど関西方面に出張の予定もあった。
手始めに、兵庫県のHPから「県内在留外国人数一覧」を検索し、最新のPDFデータ(2019年)をダウンロードしてみる。表をたどると、淡路島には「韓国」表示の住民が計194人いることが分かった(洲本市50、淡路市49、南あわじ市36)。なお、「朝鮮」表示は県全体における総数2690人と記載されていたものの、市区町村ごとの分類表に細かな人数は書かれていなかった。
なにはともあれ、同胞は暮らしていそうだ。さっそく総聯兵庫県本部に連絡して取材のつてを聞いてみた。後日、神戸市長田区で飲食店をしている方が淡路島出身だということで、直接話を聞けることに。
約60年前に淡路島から神戸に出てきたという同胞女性から、当時の思い出を聞かせてもらった。そして本題。「今も親族がお住まいだと聞きましたが…」。「弟の息子たちが今も焼肉屋してますよ。電話して聞いてみましょうか」。そして返事はOK。
調べてみるとお店は南あわじ市というところにあるという。出張日程や現地でのアクセスを考えて(島内では基本バス移動になるが、数時間に1本の路線も多い)その日のうちに高速バスで出発した。
島のだいたい中央に位置するところに安宿を見つけ、その日はそこに宿泊。翌朝早くにバスで出発し、約束の30分ほど前に現地到着した。写真撮影もかねてすぐそこの港を散歩することに。
さてそろそろ向かうか…と海沿いの道路へ移動し歩いていると、ぽとり。左肩になにかが落ちてきた感触が。先ほど目にした松ぼっくりだろうと思い、ちらと見ると、! なんと鳥のフンがべっとり。後ろでカモメが羽ばたいていった。
午前10時、人気のない路上でひとり立ち尽くす。まさか人生で初めて訪れた淡路島で、これまた初となるカモメのフン…。約束の時間まであと15分しかない。
仕方なく、フンがこびりついた面を内側に折り込み、ロングコートを片手にかけて目的の場所へ向かった。にこやかに出迎えてくれた男性が「コモのこと取材してくれたんやね」。淡路島に来て初めて耳にした朝鮮語に少しホッとした。
1時間ほどお話を聞かせてもらい、そろそろ出発しようとすると、「せっかくやから焼肉食べてって。あとこれ、もともとほる(捨てる)つもりやったから、ちょっと大きいけど着ていって!」とお連れ合いさんがロングコートを持ってきてくれた。
挨拶がてら、先ほどのカモメのフン事件を笑い話として披露していたのだが、「寒いやろうから」とわざわざ引っ張り出してきて下さったのだ。
お昼までご馳走になった上、コートまで頂くのはあまりにも申し訳なくて、「北海道出身なので寒さには慣れてます」と強がってみたものの、まだ2月末、それも風の強い港町。
「本当にほるつもりやったから!」という言葉に押され、ありがたく頂戴することにした。「ぶかぶかやけど」との言葉の通り、身体をすっぽり包まれ、すぐに暖かくなった。
「さみしい感じもするけど、いま同胞付き合いはほとんどありませんね」。そう言っていた夫婦だが、突然訪ねてきた記者をあたたかく迎え、親戚のように気づかってくれる笑顔は、日本各地で出会う同胞たちのそれとなんら変わりなかった。(理)