歴史に目を向け、平和の促進を/東京大空襲76周年第15回朝鮮人犠牲者追悼会
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東京大空襲76周年第15回朝鮮人犠牲者追悼会(主催=東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会:西澤清代表)が3月13日、東京都慰霊堂(墨田区)で行われた。
在日本朝鮮人総聯合会東京都本部の高徳羽委員長、朝鮮人強制連行真相調査団の河秀光事務局長、東京朝鮮人強制連行真相調査団の西澤清代表をはじめとする同胞、日本市民ら約70人が参加した。また、追悼会はオンラインで生配信され、約30人が視聴した。
故・李一満さん(東京朝鮮人強制連行真相調査団前事務局長)の遺稿集によると、1945年3月10日、米軍は、東京の軍需工場地域(主に下町)を目標に焼夷弾33万発(1665t)を投下し、無差別爆撃を行った。現在の墨田区、江東区、台東区にあたる地域が全滅に近い被害をうけ、10万人を超える死者が出た。 当時、東京には9万7632人の朝鮮人が暮らしていた。そのうち、戦災者が4万1300人という数字から、死者は少なくとも1万人を優に超えると推定されている。 その背景には、戦争末期、極度の労働力不足に陥った日本が植民地の朝鮮国内から「募集」「官斡旋」「徴用(徴兵)」と形態を変えながら多くの朝鮮人を連行し、渡日した朝鮮人の多くが下町で部落を形成、軍関連企業や軍需工場で働いていたことが関連しているが、植民地下で創氏改名を強いられたことで、朝鮮人犠牲者の正確な数は明らかになっていない。
ソヘグム奏者の河明樹、尹慧瓊さんと、東京朝鮮歌舞団の李允彰さんによる追悼の演奏と歌「鳳仙花、アリラン」が披露された後、犠牲者への黙とうが捧げられた。
あいさつに立った日本キリスト教協議会総幹事の金性済牧師は、戦後76年経った今もなお、東京大空襲による朝鮮人犠牲者の正確な数や名前、故郷を知るすべを見いだせていないことに触れ、「慰霊碑の建立が、日本と朝鮮半島の平和への道しるべとして価値あることとなるのでは」と思いをのべた。
続いて、立憲民主党の有田芳生参議院議員が追悼のことばをのべた。
有田議員は、「それぞれ顔と名前をもった生身の人間の、1回限りの人生を、暴力的に断ち切ることはもっとも重大な人権侵害であり、人類史的な犯罪だ」と前置きしたうえで、戦争体験者が去っていく時代に、痛ましい歴史の事実を後世に語り継ぐことの必要性を訴えた。
また、日朝平壌宣言(2002年)やストックホルム合意(2014年)後も続く、日本政府による朝鮮への敵視政策や、朝鮮学校へのあからさまな差別をあげ、「歴史に真摯に向き合い、理性的な判断で相互理解を深めていかなくては」と強く求めた。
日朝友好促進東京議員連絡会のけしば誠一・杉並区議会議員は、日本政府が歴史の事実から目をそらし、米軍と一体化して戦争の危機を煽っていることを指摘し、「日本は今、東アジアの平和のための話し合いを促し、日朝間の国交正常化に結び付けていくときだ」とのべた。
西澤清代表は、植民地支配から続く日本の責任について、日本人自身が無自覚だとし、「朝鮮人の故郷を奪い続けるもの、アイデンティティを奪い続けているものは何か」を問い続けていきたいと決意を語った。
追悼会には、朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮人強制連行被害者・遺家族協会、韓国の社団法人「平和の道」理事長の明盡師、民族和解協力汎国民協議会(民和協)の李鍾杰代表常任議長、国会議員の金弘傑氏から追悼の辞が寄せられた。
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追悼会ではこれまで、東京大空襲の朝鮮人罹災者が実体験を語ってきた。
※新型コロナウイルス感染防止策のために行事が短縮され、昨年から罹災者のトークは行っていない。
過去の体験談は朝鮮新報の記事で読むことができる。
また、当日の映像は、下記URLで引き続き配信されています。
https://tokyosinsoutyousa.hatenablog.com/#edit