滋賀での取材を終えて
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かねてから行きたかった滋賀朝鮮初級学校(大津市)を訪れた。
JR膳所駅から京阪電車に乗り継いで錦駅へ。小雨の中を歩いていくと、学校が見える。春休みで園児・児童はいなかったが、校舎の立派な作りに驚いた。1991年に建てられた3階建ての校舎は、廊下も教室もゆったりとした作りで時代を感じる。
滋賀初級は、2020年4月24日に創立60周年を迎えた。来る4月25日に記念式典が開かれるとのこと、教職員たちが沿革史や映像作成のため、春休み返上で働いていた。
日本各地の朝鮮学校の始まりは「朝鮮学校百物語」で連載しているが、滋賀初級の特徴は、最初に、中級部ができたという点ではないだろうか。
祖国解放後、滋賀県では、県内20数ヵ所で国語講習所が始まったものの、49年10月に日本政府とGHQによって強制閉鎖された。学校という形での存続が難しくなったなかでも滋賀の同胞たちはあきらめず、日本の公立学校に民族学級を設置するよう、闘っていく。なんと1949年から71年まで県内各地の20の民族学級では、多いときで400人(1957年)の子どもたちが学んでいた。
今回滋賀を訪れたのは、彦根市立城東小学校に通っていた、ある同胞の話を東京で聞いたことがきっかけだった。滋賀初級の教員を約20年務めたリ・サンウさん。
リさんは、1969年まで民族学級が続けられていた彦根市立城東小学校を卒業後、60年に創立された滋賀朝鮮中級学校に入学。
滋賀県唯一の民族学校となった滋賀中級は、近江八幡市にあった公民館から始まった。
当時、使われていない公民館があり、市長と交渉した結果、借りることができたという。公民館は教室2つほどの広さで、ベニヤ板で4つに仕切り、教室や職員室にしたという。
そして、62年には大津市に校舎が建設される。とりわけ熱心だったのは中学生たちで、リさんも夏休みから総聯滋賀県本部に寝泊まりをしながら、建設を手伝ったという。
今回、リさんが通った彦根市立城東小学校に行き、リさんの名前が載った卒業名簿も見せていただいた。
74歳になるリさんは、日本の小学校を卒業した後、中学から民族教育を受けたが、のちに滋賀初中の教員も勤められている。滋賀の民族教育について、貴重な体験をお持ちだ。
創立当初の学校の様子も写真に収めていた。
学校創立60年という大きな節目に歴史を探り、刻むための努力を続ける滋賀の教育現場。証言はあるが、資料で裏付けられない―など歴史を整理する上での課題はある。
何より60年を刻んできた人々の思いに触れながら、今日まで続けられている滋賀の民族教育の重みを感じ、新しい挑戦を続ける「今」にますます興味がわいてきた。(瑛)