イオ通巻300号を迎えて
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●「幸せへの方程式」
イオ通巻100号(2004年10月号)に載った徐勝さんのエッセイ「正体を明らかにせよ」は、強烈な印象のタイトルだ。徐さんはこう書いた。
「私は正体不明の『在日』という言い方が嫌いです。日本にいるのは朝鮮人だけではないので、在日朝鮮人として、はっきりと正体を明かすべきです。
『在日』という言い方には、民族的アイデンティティを薄めたり、消滅させたりしたいというコンプレックスがひそんでおり、朝鮮人と言いたくないから、言われたくないから、在日同胞と日本人の両者が『在日』という主体を抹消した曖昧な婉曲語法を使っているように思えます。
『朝鮮人』という言葉にまつわる居心地の悪い支配と被支配の記憶や都合の悪い真実を、『朝鮮人』とともに葬りさり、やすらかに『在日』で居たいからなのでしょう…」
1945年8月、朝鮮半島は、日本の植民地支配からやっと解放されたものの、大国の干渉が続き48年に2つの国家が樹立、50~53年の朝鮮戦争により同族が殺し合う悲劇が起き、分断は固定化されていった。祖国統一を希求した1世たちは、いつか母国へ帰ることを夢見て、祖国を仰ぎ、子どもたちに民族教育を施していったが、これほど長い間、日本に暮らすことは想像していなかったと思う。
1世、2世たちが感じてきた植民地支配、祖国分断の痛みを3、4世の多くは、“体験として”持ち得ていない。親きょうだいと生き別れた体験を持たないからか、朝鮮半島の分断をもって、허리가 잘리우는듯한 아픔(腰を切られるような痛み)を感じることは少ない。
しかし、日本による植民地支配と祖国分断の悲劇を見つめなければ、4、5世におよぶ私たち在日朝鮮人の存在は認識できない。
奪われた言葉、奪われた国、奪われた自身に連なる民族を取りもどす、という感覚…。歴史を知ってこそ、自身でつかみ取ってこそ、日本で生を授かった「私」を知ることができる。このことは、コリアにつながるすべての人に共通した「幸せへの方程式」ではないか。
だからこそ、日本の植民地支配と祖国分断の痛みを最前線で引き受けてきた人たちの言葉を誌面で共有したかった。非転向長期囚・徐勝さんの連載エッセイ「在日同胞とわたし」は2007年にスタート。その文章は、19年の獄中生活での体験から絞り出された痛みと希望の言葉だった。
●連載「在日朝鮮人を見つめて」
2018年からは、中村一成さんのエッセイ「在日朝鮮人を見つめて」の連載を始めた。累計42回目を終え、根強いファンを増やしている。この連載は編集部の鄭さんの提案から始まったもので、連載を打診したとき、中村さんは、「亡くなった人を書きたいと思う」と答えてくれた。
日本政府の無策、いや、意図的な切り捨てによって無年金状態に置かれた理不尽を裁判の場で問うた同胞障碍者、高齢者の方々、彼らを支える日本人支援者。そして、現在の無償化差別や幼保無償化差別を闘う30、40,50代の同胞女性たち…。
エッセイには、歴史を引き受け、未来に託す人々の生きざまが細やかな感情の機微とともに、力強く表現されている。鬼籍に入った方も多く、歴史に連なる「在日朝鮮人を見つめ」なおすことができる骨太の読みものだ。
日本人と朝鮮人との間に生まれたダブル―。
中村さんの感性と筆力は、彼の生い立ちと「ふたつの目」に寄っていると担当編集者として感じる。自分の中の朝鮮人を追い求めていると。京都朝鮮第1初級学校を襲撃した「在特会」や、川崎の同胞女性に脅迫状を送り付けるヘイト主義者たちの醜悪さをあぶりだし、筆で闘う中村一成。
国籍、生い立ちを超越して、朝鮮人としてどう生きるか。この社会をどう豊かにしていくか―。多くの問いを読者に投げかけている。
●私たちをつなげるもの
朝鮮半島をルーツに持つ人たちが、しがらみを乗りこえて話せる話題は何だろう。故郷のこと、名前のこと…。300号を前にバックナンバーを繰りながら、こんなことを考えていた。
同胞たちの意識が世代交代によって「多様化された」という言葉は聞こえこそいいが、危険だ。植民地支配や祖国分断によって、私たち在日朝鮮人は、自分たちの意思とは関係のない場所で分断されてしまっている。それは日韓国交正常化時(1965年)にとられた韓国籍者のみの永住権付与、現在に続く朝鮮学校差別…。政治信条や暮らし方の違いによるしがらみも少なくない。そして、日本政府の分断政策は75年たった今も変わらない。
一方で現実の同胞社会を見ると、日本名で暮らし、日本国籍を取得する人たちは増え続けている(2019年、帰化同胞者数4360人)。
日本政府がとる植民地主義の結果として、同胞社会が散り散りになっている現状は、私たち編集部の想像を越えているだろう。同胞たちをつなげる共通項は一つではなくなっている。
例えば、朝鮮籍者と日本籍者とでは、その暮らしはまったく違うものではないか。
選挙に行く、海外に渡航する際の不便がない。日本籍で暮らす人たちは、国や国、民族と民族との間のしがらみや、私たちの歴史をないものにしようとする差別の仕組みを意識したり感じる機会が減るのではないか…。
●「帰化」の場面にも
いや、ことは単純ではない。2011年に連載「30代の肖像」で自身と同じ世代の意識や暮らしを書いたときのこと。家族で日本籍をとったある韓国籍の同胞は、日本人配偶者を含めファミリーネームを民族名にした。何をもって自身のルーツを後世に残すのか―。
大きな命題は「帰化」の場面にもある、そのことを知ることができた希少な体験だった。
父親が朝鮮人であることを亡くなった後に知った安田菜津紀さん(2020年11月号に初登場)がルーツを追い求めるその姿は、自分が何者かを知る権利は誰にでもあることを私たちに教えてくれる。
日本政府の朝鮮人蔑視は根が深く、2000年代に入ってからは、朝鮮民主主義人民共和国に連なる人たちを強力に排除している。朝鮮学校、朝鮮籍…。総聯コミュニティを「中心」で支えている人たちには朝鮮籍者が少なくない。彼らは朝鮮という言葉がパージされる日本でなぜ、朝鮮籍を保持しているのか。朝鮮学校に子を通わせ、支えているのか。
それは、日本社会において「朝鮮」が解放され、自由になることが、同胞社会全体の「解放と自由、可能性」に連なるからだと信じているからではないだろうか。
植民地支配から解放された朝鮮半島に土足で踏み入り、今も軍隊を駐留させている米国と対等に交渉する(いや唯一対等な立場で交渉できる)朝鮮民主主義人民共和国への支持も、日本でのこの実感と無縁ではない。
●ホッとしてほしい
2010年から続く高校無償化差別、対朝鮮制裁と、取り巻く環境は厳しい。国や自治体への要請、提訴、街中での署名活動…。日本の公教育の場で進む歴史修正主義に意義を唱える人たち…。
イオは、今も続く「解放への希求」を見つめ、在日朝鮮人が抱える根本問題の解決に少しでも寄与できるようなものでなくてはならない、と思う。また、朝鮮籍者から日本国籍者まで、コリアにつながる同胞たちが抱える共通項や違いを敏感に感じ、まっすぐに見つめながら、「ウリ」が幸せに生きる道筋を探っていきたい。
一方、イオを見て、ホッとしてほしいとも思う。創刊時から2000年頃までは農業や漁業につく同胞や、朝鮮に暮らす市民の様子など、牧歌的な誌面が多かった。
赤ちゃんを1ぺージで大きく紹介していた時期もあり、「今大学生の息子が載ったんですよ」と嬉しそうに話しかけてくれたアボジの表情を思い出す。他愛もないことが、日常の喜びになる。そんな誌面も増やしていきたい。
最近、大阪朝鮮高級学校出身で世界的に活躍したマジシャン・安聖友さんが亡くなり、同胞社会が悲しみに包まれた。幼い頃に見た安さんのマジックを懐かしむ人は多かった。
次号では、安さんにまつわるエッセイを載せる予定だ。時に悲しみや辛いことも分かちあいたいと思う。
誰かが見ている、見守っているということほど、人の力になることはないのだから。(瑛、了)
イオ300号おめでとうございます‼
ヨコ、タテ、内外をつなぐイオを応援しています。
デジタルネイティブと呼ばれる若い世代と、在日1世を知る中高年が、誌面を通して触れ合い、刺激しあい、楽しめる月刊誌として、これからも発展し続けることを願っています。