教訓、分析、予言—ソンセンニムの言葉
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忘れられない、というよりも、なんとなく記憶に残っていたり、折に触れて思い出す言葉がいくつかある。今回は朝高・朝大のソンセンニム方から掛けられた言葉に限定して三つ紹介したい。
一つ目は「何かを変えようと思ったら、誰か一人が本気にならないといけない」。何について言われたのかシチュエーションは忘れてしまったが、まさに目の前にある物事でアドバイスされたのは覚えている。
その方は私が高2の時に赴任してきたので、朝大を卒業してまだ1〜2年目。熱血というか勢いのあるソンセンニムだった。上の言葉は、話しぶりから妙に伝わってくるものがあり、(ああ、きっとソンセンニム自身の経験から出た言葉なんだろうな)と思った。
確かに多くの場合、新しいことや変化を起こそうと思ったら誰か一人がある程度まで牽引しなくては状況が前に進まない。技術的な問題ではなく、やる気の面で。歳を重ね、思い出すごとに納得感が増す言葉だと感じる(どちらかというと私は物事を始めることは苦手で、いつもついていく側だけども)。
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記憶に残っている言葉、二つ目は、高1の時に吹奏楽部顧問のソンセンニムから言われたものだ。
教室には私と同級生、そして2学年上の先輩がおり、ソンセンニムを交えて雑談していた。ソンセンニムはそれぞれの練習態度に触れ、「A(同級生)は褒められて伸びるタイプ、B(先輩)は叱られて伸びるタイプ、リエ(私)は何もしなくても勝手に伸びるタイプ」と冗談ぽく言った。
ここでいう「伸びる」は、頑張って練習に励むことができるか(モチベーションが上がるか)という意味合いだろう。同級生と先輩はソンセンニムの評価を聞き、「まさにそう!」と手をたたいて笑っていた。
意識したことはなかったが、自分も指摘されてみて初めて、確かにそうかもと実感した。褒められてもそれが気合いに直結することはないし、叱られるのは普通に嫌である。ただただ自分がもっといい音を出したいし、気持ちよく吹きたいし、リズムが合わないと違和感があるから練習する。自分にとって楽しい、心地いい時間を作りたい気持ちが「頑張りたい」という思いにつながっていた。
ソンセンニムが練習や合奏のようすを見る時間は一日1時間程度で、また毎日でもない。それでも生徒たち本人が自覚していない部分まで見えている。何気ない分析を聞いて、ソンセンニムというのは生徒のことによく気がつくんだな、これが教員の目かと少し驚いた。同時に、自分の性向を第三者の目線で言語化し教えてもらう面白さも感じた。
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最後は、朝大のソンセンニムから言われた言葉。
「君は人を信じすぎる」
意外な言葉だった。いやいや自分はあまり人を信用しないタイプですよ、なんならいつも「人を見たら泥棒と思え」「街を歩けばスリに遭う」的なマインドで生きていますよと言い返そうとしたところ、後に続いた言葉はさらに想像していないものだった。
「君の話し方はかなり説明不足だよ。でも相手が意味を汲み取って、言いたいことを理解してくれるだろうと信じ切っている」
ここまで聞いて、すべてにハッとした。自分が説明不足(相手にとって不親切な話し方をしている)と考えたことも省みたこともなかったし、そのことが「相手を信じすぎている」という表現になることにも衝撃を受けた。そういう言い方もできるのかとある意味で感心もした。そして、言葉足らずなまま20数年間もよく人間関係やってこられたな…と思いヒヤッとした。
ソンセンニムはさらに、「そのままだと社会人になっても大きな失敗を生むよ」と物騒な予言までしてきて軽く青ざめたものだ。
社会人になり早9年。言われた通りの原因で失敗するたびにまた青ざめ、未だに改善できていなかったのか…と自身のコミュニケーション不足や怠慢を悔やんでいる。必然的に、このソンセンニムの言葉を一番多く思い出す。
せめてもの救いは、コミュニケーションに難ありな自覚は持っている点だろうか。ソンセンニムの強烈な一言が作用して意識が保たれ、免れた失敗もたくさんあるのかもしれない。(理)