コロナ禍の中で考えた「たばこと私」
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「そういえば、たばこをやめてもう5年かぁ」
仕事のスケジュールを確認するため手帳のカレンダーをめくっていて、ふと思い出した。
20数年間吸い続けてきたたばこを絶ってから、今年5月で丸5年が経つ。28日がちょうど禁煙5周年にあたる日だ。2016年3月に禁煙を決意してから、何度かの挫折を経て、5月28日を境に習慣としての喫煙にさよならをした。
この間、人付き合いや酒席などの席で数本吸ってしまったが、ここ3年は1本も吸っていない。
なぜここでたばこの話をしたのかというと、昨年来の新型コロナウイルスパンデミックという未曽有の災難に際して、自らの過去の喫煙習慣を振り返る機会が増えたからだ。
新型コロナウイルスに感染したコメディアンの志村けんさんが昨年3月29日、肺炎のため亡くなった。振り返れば、COVID-19の恐ろしさを初めて身近に感じたのは、この志村さんの死だった。誰もが知る有名人が亡くなったからというのもあるが、志村さんの死がかれの長年にわたる喫煙習慣と関連づけられて語られたということが大きい。
喫煙が呼吸器系や循環器系に及ぼす悪影響は疑問の余地がない。新型コロナウイルス感染症と関連しても、喫煙は感染や重症化の大きなリスクとして挙げられている。
5年前に亡くなった父親も肺をやられた。晩年は肺の機能が弱まって肺に水がたまり、入退院を繰り返した。肺炎による息苦しさは、「ベッドの上で溺れているようだ」と表現されることも多い。日に日に弱っていくようすを見るのはつらかった。大病したのをきっかけに、亡くなる10年ほど前からたばこはやめていたが、長年にわたる喫煙習慣が肺機能に少なくないダメージを与えていたことは容易に想像がつく。
ニュース映像などでCOVID-19からの回復者が肺炎の苦しみを語っている場面を見るにつけ、もし自分がCOVID-19になったら重症化するのではないかという怯えにも似た感情が押し寄せてくる。
このストレス社会の中で、たばこは心の安らぎをくれた(それがニコチン依存症によるものだったとしても)。人付き合いの面でも助けられた。喫煙者同士の連帯感も好きだった。独身のままだったら、経済的に苦しくても喫煙をやめていなかっただろう。仮にやめたいと思っていても、意志の弱い私はやめられなかっただろう。そういう意味では、多少強引にでも禁煙に向けて背中を押してくれた家族に感謝しなくてはいけない。
煙草をやめてよかった。何より自分自身と家族、周囲の人びとの健康のことを考えても、心からそう思っている。(相)