不定期に訪れる「いただきもの期間」
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昨日、(麗)さんのご実家から送られてきた、立派な桃と葡萄をいただいた。
普段ジュースを飲まない筆者にとって、新鮮な果物での糖分摂取はこのうえない贅沢である。
葡萄は冷蔵庫でキンキンに冷やし、桃は熟すまで待つことにした。
さて、5月ごろからだろうか、出かけるたびに何かを持ち帰っている気がする。
東海出張ではたくさんのお菓子をいただき、友人からは手作りのネックレスを、別の友人からは、今年の誕生日が目前だったにも関わらず「去年の誕生日プレゼント」を、また、先日の取材先では習字の先生に再会し、その場でトートバッグをいただいた。
すべて覚えているわけではないが、その他にも行く先々でお菓子や飲み物、ささやかなプレゼントをいただいている。ただいただくというより、タイミングや用途がちょうどいいことが多いので、余計印象に残っているのだろうか。
単なる偶然かも知れないが、このような「いただき物期間」が不定期で訪れ、その期間はこれでもかというほどいろんなものが手に入るので、とても不思議に思う。
もしかすると、何かをもらったときの喜びの感情を大げさに貯蓄しているだけかも知れない。人は記憶を美化するというので、うれしい感情だけ脳に残って「なんてラッキーな人間なんだ」と浮かれているだけかも知れないが、ズーンと生きるよりいいなと思っている。笑
そういうわけで、昨日いただいた果物も、「誕生日にいただけるなんてラッキーすぎる」と脳内で変換している。今年もささやかなことでフツフツ喜べるような日々を送りたい。(蘭)