熱中症! 危機一髪
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先週の月曜日、熱中症になった。取材で群馬朝鮮初中級学校へ向かっている途中だった。テレビでも日常会話でも「熱中症に気をつけて」という言葉をよく聞くが、そして自分でも注意しているつもりだったが、実際は(ま、でも自分はならないでしょう)と軽く考えていた。
いかに簡単に熱中症になってしまうのか、どれほど危険なものなのか、経験してみて初めて心の底から「気をつけなければ」と思った。当日の経過を詳細に振り返ってみたい。
自宅から群馬初中まではドアtoドアで約3時間、移動経路はバス→電車→新幹線→電車→バスを予定。当日朝、パンとアイスコーヒーでさっと朝食を済ませ出発した。
最初に異変を感じたのは実はバスを降りた時で、立ちくらみのような感覚があった。しかし一瞬だったのでそのまま電車に乗り込む。電車では空席がなく、立ったまま約25分。東京駅で降りて新幹線乗り場へと向かった。
東京駅では予定より1本前の新幹線に乗れそうだった。ここで一瞬、暑さを感じて水を買おうとしたが、自由席がある号車に向かって歩いているうちに発車まで1分を切ったのでそのまま乗り込んでしまった。恐らく、ここが熱中症を免れるかアウトかを分けるポイントだったのだと思う。
ここからが早かった。新幹線発車直後、なんだか頭がくらくらしていることに気がつく。少しの間じっとしても感覚がおさまらない。次第にくらくらがぐらぐらになってきて、まっすぐ座るのも困難に。完全に目が回っている。新幹線は直進しているはずなのに、まるで右へ左へと猛スピードで旋回しながら走っているようだ。
車内ワゴンから水を買おうと待ったが一向にやって来ない。ここら辺で(熱中症かも…)という考えが頭をよぎった。眩暈はもっとひどくなり、目をつぶっても緩和されるどころか回転がより加速する。いつの間にかじっとりと冷や汗もかいている。これ、ちょっとまずいのでは、と怖くなり、大宮駅でいちど下車を決めた。ここまでで25分が経っていた。
降りてすぐに自販機へ向かい水を購入。あっという間に一本飲み干すも状態は落ち着かず、軽い吐き気も感じた。次の新幹線まで時間があったため、1階へ降りて売店でポカリスエットを買った(自販機にはなかった)。首を冷やしつつ、また即座に飲み干す。
新幹線が来るまで残り数分となったので乗降口付近へ向かったが、立っているのもしんどく、しゃがみ込んで待っていた。やって来た新幹線に乗り込み空いている席に座る…と、ここへ来ていちばん強い吐き気に襲われた。(あーまだ早かった…)と思っているうちに扉が閉まり発車。たまらずトイレへ駆け込む。
便器を抱え込むようにしゃがんでいると、体勢がちょうどよかったのか不思議と落ち着いてきた。だが高崎駅まではここから約25分。ガタゴトという揺れと密閉空間。これはもたないなと感じ、次でまた降りようと決める。
熊谷駅。新幹線を降り、売店を目指して歩いている途中で、とつぜん吐き気を我慢できなくなり急いでトイレへ駆け込む。この時はそのまま嘔吐した。頭痛もするし、苦しいし、なんでこんなことに…と涙がにじんできた。
へろへろになりながら売店で再び水とポカリスエット、そしてなんとなく体によさそうな、飲む鉄分ヨーグルトを買った(いま考えると鉄分は別にこのタイミングではなかったと思う)。次の新幹線まで30分ほど時間が空いたので、飲み物で首や脇をとにかく冷やしながら溜まっていたLINEに返信した。
また、群馬初中の先生にも遅刻の謝罪と時間変更のお願いLINEを送った。するとすぐに了承の返信が。さらには取材をお願いしている先生のオモニも同校教員とのことで、群馬初中の最寄り駅まで車で迎えに来て下さるとのことだった。恐縮ながら、ありがたくお願いすることにした。
まだ軽く頭がくらくらしたが幾分ましになってきたのと、これ以上は時間を遅らせることはできないと思い、やってきた新幹線に乗る。直前に、首を冷やすための飲み物を新しく購入。もうそろそろ大丈夫かと考えていたが、いざ新幹線に乗るとやはり速度のせいか、密閉空間のせいか、また頭がくらくら。ただただ耐える。
無事に高崎駅で新幹線を降り、最後の在来線に乗り込む。あと15分…。しかしここに来て、またもやひどい吐き気に襲われた。かなり危険なレベルだ。降りようか、でもまた約束時間を変更しないと…それに降りたところでトイレまで歩く体力が残っているのか…なんならホームで吐いてもいいのか…線路わきにならセーフなのか…。いろいろと考えを巡らせた結果、ぐっとこらえて約束の駅まで向かった。
幸い、降りる頃にはピークが過ぎ、待ち合わせていたオモニ教員と合流することができた。車に乗るや否や経口補水液のゼリーを渡される。学校へ着くと、枕とシーツを抱えたオモニ教員が「まずは寝た方がいいですよ」と、冷房の効いた教室に案内して下さった。心配と迷惑をかけっぱなしでいたたまれなかったが、まだ具合が悪かったので甘えさせてもらう。重ねて頂いたアクエリアスを飲み、すぐに横になった。
…目が覚めるとなんと2時間ほど経っていた。ちょうど様子を見に来たオモニ教員に具合を聞かれ、「本当にだいぶ回復しました。スッキリしました」と答えたら、「よかった。さっき娘が見に来たら、大の字になって寝ていたみたいですよ」と笑って教えてくれた。なんて能天気なのだろう自分は…。せめてもう少し遠慮がちに眠りなさいよ!と恥ずかしくなった。
さて、ゆっくりしてはいられない。数時間の遅れを取り戻すため、さっそく取材開始だ。取材に応じて下さる先生の協力のもと、どうにか時間内に終えることができた。取材の合間にも、オモニ教員は冷えピタ、アイス、お茶など小まめに差し入れに来て、さらにもともと用意してくれていたお弁当のほか、トマト、追加の冷えピタ、さらにサービスでキムチの素(粉)までお土産に持たせて下さった。
取材後には再び駅へ送迎まで。最初から最後まで感謝の言葉が追いつかない。多大な迷惑をかけてしまったうえ頂き物ばかりでただただ恐縮で、ひたすらありがたかった。帰途は大きく体調を崩すこともなく、家に着いた時は安心からか全身から力が抜けた。
その日は栄養のあるものを食べてしっかり水分補給し、冷えピタを両脇に貼って早めに就寝。そこまでしたが、次の日も頭痛や首の後ろ側の熱っぽい感じが残っており、熱中症のしぶとさを感じた。出勤を控え、在宅作業にしたところ夜にはすっかり回復。翌日、ようやく全快した。
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以上が詳細である。炎天下を長時間歩いていたわけでもない。気がついたらすでに熱中症の状態になっていたことが恐ろしい。大事に至らず、取材も無事に終えることができて運が良かったが、あと少し判断が遅かったら倒れていたかもしれない。激しい吐き気を感じトイレで吐いた時は(本当にどうなってしまうんだろう。もうダメなのだろうか)と強い不安を感じた。
のちに調べてみたところ熱中症で命を落とすケースもあるそうで、遅ればせながらその怖さを知った。自分は大丈夫だろうという謎の自信は単なる知識不足から来ていたのだ。そして学校ではオモニ教員の多大なお気遣いに恐縮しっぱなしだったが、もしかしたらあそこまでして下さったからこそ持ちこたえられたのかもしれない。
これからは、家を出る前は必ず水を飲む、外出時もできるなら水を持ち歩くか、気がついたらすぐに買って飲む-。これを徹底して心がけようと決めた。(理)