“善良な差別主義者”
広告
在日朝鮮人1世画家である呉炳学さんの絵画展に行った時のこと。最終日とあって、会場には呉さんのお弟子さんほか友人・知人が入れ替わり立ち替わり訪れていた。
呉さんとお喋りする人々を眺めながら私も順番を待つ。ようやく落ち着いて取材できる頃合いになったのでノートを開き、呉さんへの質問を始めた。
今絵画展を開催しての思い、絵を描き続ける原動力はなにか、現代の在日朝鮮人に伝えたいことはあるか?ー
呉さんの耳が遠いこと、そして私の話し方が明瞭ではなく分かりにくかったこともあるのだろう、最後の質問の意図がうまく伝わらず、何度か繰り返し、言葉を変えて聞き直している時のことだった。
それまで隣に座っていた初老の男性が突然、「そういうことじゃないんだよ」と言葉を差し込んできた。
「在日とか日本人とかさ、そういうのどうでもいいんだよ。自分は高校生のころから呉先生と一緒にいるから分かる。いかに人として物事の本質を見ることができるかだよ」
…おぞましい、咄嗟にそう感じた気がする。しかし突然のことで動揺して、はっきりした返答ができなかった。男性は呉さんがそれ以上なにかを話すことも遮るかのように、上記の旨を何度か繰り返し強調した。
「朝鮮人とか日本人とかさ、そういう問題じゃないんだよ。関係ないんだよ」
異様にギラギラした目玉が印象的だった。こちらの相槌すら挟ませないようにまくしたてる様子が恐ろしかった。いきいきとした笑顔で話し続ける男性を見ていると、「元気な差別」という言葉が浮かんだ。
私にはその男性が、呉さんが明朗に話せないのをいいことに、なにか自分の鬱憤を晴らしているようにも見えた。
その日の夜、もやもやがだんだん怒りの形をとってきて(ああ、なんか言い返せば良かったのかな)と後悔した。
それからしばらく経ち、SNSで一冊の本が目に留まった。
韓国の研究者が書いたものらしい。原題を調べると『선량한 차별주의자(善良な差別主義者)』と出てきて、咄嗟にあの男性の顔が浮かんだ。
男性には、「この若い在日を言い負かしてやろう」などの明確な悪意があったわけではないのかもしれない。確かに、朝鮮人を直接的に攻撃する言葉は使っていなかった。
そこにあったのは、呉先生と長い時間をともにし、たくさんのことを学んだという少しの優越感と、自分の知る呉先生の魅力を伝えたいという「良心」だったのかもしれない。
しかし、そもそも呉さんは自身も仰っているように「民族的なモチーフ」をこそ大切にし、生涯をかけて描き続けてきた。
さらに過去のインタビューでも「私が朝鮮人だし、自分の民族の美意識、美の感覚を自分の作品で実現したいと…(中略)その場合に民族意識とか民族のモチーフを下手に描くと、朝鮮人なんて、つまんないと感じを与えても逆効果ですね」と仰っている。
男性が呉さんからどんなことを学び、どんな言葉を吸収したのかは分からない。もしかしたら場面によっては、「朝鮮人も日本人も関係ないんだよ」という話はされたのかもしれない。
でも会場いっぱいに展示された民族的なモチーフ画、そして本名で生きてきてそこに佇む呉さんを前にあのように力説できてしまうのは、やはりどこかでマジョリティの傲慢さを持って呉さんの言葉を解釈していたからだと思うのだ。
その男性が呉さんを本心から尊敬していたとしても、あの場において思いを歪曲し伝えたという点で、明らかに差別を生み出したといえる。
「善良な差別主義者」…もう一度この言葉を噛み締めつつ、本自体はまだ手に取れていないので、近日中に取り寄せようと考えている。(理)