本日、仕事おさめ
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昨日、取材で津田塾大学の小平キャンパスを訪ねた。『排外主義と在日コリアン』の著者・川端浩平さんをインタビューするためだ。
川端さんと同書のことは、少し前にオンラインイベントの告知を通して初めて知った。タイトルに興味が湧いて読んでみたところ、現代の日本社会に暮らしている人たちが陥りやすい認知のメカニズムをとても的確に言語化しており、のめり込むように読み進めた。一例を以下に紹介したい。
ネットや排外主義者のデモで流布しているコピペされた排外主義言説はきわめて質が悪い。なぜならば、私たちは無自覚のうちに多種多様な情報に曝されているのであり、うっかりして解読することを失念して残存したデータを脳内に放置しようものならば、そのデータが別の場面で直接間接的に思考に影響を与えるからである。喩えるならば、私たちは自分たちが採用しないような考え方にウイルス感染することが不可避な知的環境を生きている。たとえば、筆者の学生たちに在特会の言動が映し出された動画を見せるとみな憤りを覚える。そのいっぽうで、「日韓関係がきわめて悪いこと」がその要因であると暫定的に結びつけることで理解しようとする。日韓関係が悪いかどうかに関しては本当のところ深い関心がないがゆえに、テレビやネットを通じて消費した日韓の対立を煽るような情報の断片が説明材料として呼び覚まされるのである。その結果、本人の意図とは別のところで、排外主義の現象を消極的にでも理解・許容してしまうような態度と結びついてしまうのである。ゆえに、私たちは、あらためて情報源である当事者の声に耳を傾け、一次資料・情報に向き合う必要があるのだろう。
一見、分かっているようなこと、もしくはざっくりとは意識していること、思っていること=頭の中にあるイメージを、いざ言葉を使って表現しようとするとなかなか難しいものだ。そういう感覚的なものを一つひとつ押さえていき、読者の目をひらかせるような文章を書けるのはすごいことだなと感じた。
川端さんはまた一方で、「排外主義者の主要ターゲットになっている在日コリアンに対する理解は、当事者や社会活動家、研究調査者によって生み出された知識とも無関係とはいえない」と指摘する。つまり、当事者や研究者が発した言葉や情報が、一部、排外主義者たちによって巧妙に利用されている側面もあるということだ。
川端さんは、もう17年以上も在日コリアンの友人たちと付き合いながら、暮らしや意識の変遷を調査し続けている。その過程で実感したのは、「分かりやすい“論”にあてはめて、きれいに整理することの危うさ」だという。
論文を書くとなると、どうしても理論とデータの整合性がとれるように内容をまとめることが求められる。例えば10人の在日コリアンへの聞き取りを実施すると、どんな人でもインパクトのある、分類の難しい経験や言葉を持っていることに気づく。しかし、目の前の調査における結論へと向かう際には、そういった部分は省かざるを得ないこともあるそうだ。
「単純化したものは裏返しやすい。例えば、子どもとやり取りする時に分かりやすくするために簡単な言葉で伝えると、あとでその言葉をオセロのように逆転させて使われてしまうことがあります。パッケージングされた言葉をまるまるコピーして頭にnot(否定)をつければ、反転させて排外主義的な文脈に結びつけることができてしまう」
とりわけ現在は情報が氾濫しているため、受け手は容易に処理できる記号だけが頭に残ってしまう。「日韓」というワードの隣に適当な写真を一枚つけるだけで、詳報を読まなくてもなんとなく内容が分かった気になってしまう。その状態を放置すると、上に引用したような思考を辿るようになるだろう。
川端さんがいま実践しているのは、コピーできないものを記すこと、再び本から引用するなら「複雑なことを複雑なまま理解すること」だ。そのような個々のストーリーが出てくることで、特定のイメージと結びついた記号としてではなく、対話や想像の生まれる余地のある「他者」として在日コリアンと出会いなおすことができると考えている。
分かりやすいストーリーに収斂させないこと―。「コリアにつながるすべての人へ」をコンセプトに掲げるイオにとっても、この考え方はどこかで意識しないといけないな、と個人的に思った。川端さんの本、そしてインタビューからはいろいろなことを気づかされ、学ぶことができた。
2022年1月中旬に発売されるイオ2月号では、ブログとは別の内容も紹介する予定です。興味のある方はぜひご購読お願い致します。
さて、今年度の日刊イオは本日で最後になります。1年間、雑誌とともにご愛読下さりありがとうございました。来年は1月5日(水)から更新を再開します。皆さん、暖かくして穏やかな年末年始をお過ごし下さい。(理)