九州出張記㊦:宮崎―田舎の歩き方
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これまで田舎の過疎地域を取材する際は、その地域の活動家が車で案内してくれたが、宮崎県には専従の活動家がおらず、移動も公共交通機関を使わなければいけなかった。
今回の出張を通して学んだ田舎の歩き方をレクチャーしたい。
一言でいえば、「都会の感覚は捨てろ」なのだが、実体験をもとに紹介したい。
①時間に余裕を持って動くべし
東京で山手線や埼京線に乗っている筆者からしたら、どうすればいいのかわからなくなってしまうほど、電車やバスの本数が少ない。
以前のブログで、HDMIコードを買って宮崎駅を全力疾走したと書いたが、とにかく予定していた電車に乗らなくてはいけなかったからだ。予定していた電車に乗れば、30分前に待ち合わせの駅につくが、その電車を逃してしまうと、1時間半遅れで目的地に着くことになる。なんとしてでもその電車に乗らなくてはならなかったのだ。
そこでまた、事件が起こった。
②ICカードが使えない駅が多い
全力疾走し、宮崎駅でICカードをタッチすると、ピーーーーーとエラーの音が。こんな時に限って残額が足りない。「もう!!」と嘆いて、ダッシュでチャージを済ませて再度タッチ。しかし、またもやエラー。電車発車まで1分、プチパニックだ。
駅員に、「ICカードがエラーになるんですけど、あの電車に乗らないとダメなんです!!あれに乗らないと終わりなんです!」と訳のわからない説明をすると、「どこまで行かれますか?」と聞かれた。ICカードがエラーになるのと、筆者の行先になんの関係があるのかという疑問と、見ず知らずの地域の駅名がパッと思い浮かばないことに若干イラっとしながらどうにか行先を思い出して伝えると、
「その駅はICカード使えないんです」
「ええぇぇぇぇ?!」
今思うと、少々失礼な反応だったかもしれない。金額を確認してきっぷを買う時間もなく、焦りが増す。その様子を見かねて、「到着駅に連絡しておくので、そこで払ってください」と駅員さんが改札を通してくれた。ダッシュで階段を駆け上がり、発車5秒前に乗車することができた。
足はプルプル。息も上がり、汗を搔きながらHDMIコードを開封するも、差込口のサイズが違ったというオチまでついた。
目的地までは電車一本で1時間ほどだった。田園風景を越え、「となりのトトロ」のネコバスが通るような道を行く。本当にたどり着くのか、電車は間違っていないか、しかし景色がいいなとソワソワが止まらず、景色を写真撮ったり、運転席を見たり、停車駅の電光掲示板を何度も見たり…まるで都会人丸出し。
そして17時30分、目的地の駅につくと、普段見慣れている改札はなく、買ったきっぷを箱に入れるだけの、簡易なアナログ改札があった。駅員の窓口も閉まっている。「業務は15時まで」の貼り紙があり、一応何度かドアをノックしてみたが、返事がない。
都会はICカードやスマホの「ピッ」で何でも規則的に、効率よく処理するが、田舎には「ピッ」がないぶん、人への信頼が濃いように感じた。言ってしまえば、いくらでもチョンボできてしまうようなセキュリティの緩さだが、料金は出されなければ! 乗車料金は、宮崎駅に帰って事情を説明して清算した。
③電車/バスに乗ったら、引き返すな。目的地まで行け
宮崎県ならではの景色を一つでも撮っておいたほうがいいかなと思い、近くの青島に行くことにした。
近くと言っても、電車かバスを利用する距離だ。
電車に乗ってしばらくして、ふと、「締切前で校正が回るから、最終日に立ち寄った方がいいかもしれない…」という考えがよぎり、その日は引き返して作業に集中しようと思い、電車を降りた。
これも、すぐ電車が来るという都会の感覚から来る行動だった。
電車を降りて、戻りの電車を調べると、なんと2時間後に来る…。2時間…。どういうこと…。
近くのカフェで時間をつぶそうとしたが、カフェまで徒歩20分。往復で40分と考えると効率が悪い。
マップで調べると、近くにバス停があり、40分後にバスが来るので、それに乗ることにしたのだが、前回のブログで書いた通り、Wi-Fiを持って行っていなかったので作業ができない。
できることが一つだけあった。5月号で紹介する絵本を読むこと―。誰もいない住宅地にひっそりとたたずむバス停で絵本を広げるという、無駄にメルヘンな情景ができあがった。
④小銭を持ち歩け
前述したとおり、ICカードやスマホの「ピッ」はあまり通用しない。
宮崎県には無人駅も多く、バスや路面電車のように、車内で支払うことが多い。
沖縄出張で「現金が必要」という教訓を得た私は、2万円を財布に入れて九州出張に挑んだが、実際には、現金というより小銭が必要なのだ。
③のエピソードの続きだが、降りる際に支払うことを知ったが、一万円札しかない。駅員もどうすることもできず、「今回はいいよ」とそのまま降ろしてくれた(申し訳なかった)。
バスを待っている間、まず両替をしようと思ったのだが、降りた駅の近く、バス停の近くにはコンビニもスーパーも、なんのお店も見当たらない。唯一、バイクの修理店があったので、そこのおじさんに両替を頼んだ。宮崎では、両替=崩すことを、「壊す」というらしい。
「1万は壊せるかねぇ…」と、確認してくれたが、なかったらしく、500円を2枚渡してくれて、「いつか返してよ」と。「出張で明日帰るんですけど、振込とかでもいいですかね」と聞くと、「振込手数料がかかっちゃうからそりゃいけねえな」と、1万円分のお金をどうにか探してくれた。
そしてバスが来た。聞き覚えのある音もした。
ピッ…ピッ…
バスはICカードが使用できるというオチまでついた。
***
とにかく、都会の感覚で考えると、一筋縄ではいかないものだ。
わかりやすい言葉で言えば「不便」だ。不便なのは確かだ。しかし、電車を降りようとした筆者の服装や荷物から、地元の人じゃないと判断した車掌さんが、「これから来る電車に乗ったらいい、タクシーは少ないからここで降りない方がいい」と親身になってアドバイスをしてくれたり、バイクの修理店のおじさんは、店に来た客にまで「1万円壊せるか」と聞いて回ってくれた。都会とは比べ、人と人との心の距離が近いように感じた。
田舎の不便さや、地方の人が東京で人波にのまれアタフタしているのを、仮に「ダサい」というなら、田舎で駅を降りて途方に暮れたり、ICカードやスマホ決済が使えず、どうすることもできない都会人も無力で滑稽なものだ。
筆者はわりと、田舎が好きである。(蘭)
最終日に行った青島