責任感はどこから生まれる
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先日、居住地域で女性同盟の定期大会が開催された。女性同盟とは、「在日本朝鮮民主女性同盟」の略称(1947年10月12日結成)。都道府県ごとに本部・支部・分会コミュニティがあり、同胞女性たちをつないでいる。
そして同胞女性の権利向上のための取り組み、ニーズに合わせた各種文化活動、子育て世帯へのサポート、民族教育を守るための活動などを地域ごとに展開しており、在日朝鮮人運動を担う「車輪の片方」とも言われている(もう片方は総聯)。
定期大会は、これまでの4年間を総括し、今後4年間の運動の方向性を確認する場だ。記者という職業柄、こうした場には取材者として立ち会うことがほとんどだったが、今回は地域の“いち同胞”として参加した。私が暮らしている地区を管轄する女性同盟支部の委員長からお誘いを受けたのである。
客観的な立場ではなく、自分が暮らしている地域に関することが話し合われるのだと考えるとより一層興味がわいた。
会場に着くと、すでに何十人もの参加者が席についていた。30代から、恐らく上は80代くらいまでだろうか(90代の方もいらしたかもしれない)。同じ地域にこれほど多くの同胞女性が暮らしているんだな―。当然のことなのだが、こうして集まることで改めて実感する。
大会でははじめに前期4年間の成果が報告された。若い世代を対象にした学習会の定期開催、停止状態にあった支部の再建、全体の80%の分会を活性化したことなど、日々、同胞社会が動き、新たにつながる同胞たちがいたという話を聞いて驚いた。恥ずかしながらまったく知らなかった。
続いて、今期4年間どんなことに注力していくのかも知ることができた。
印象深かったのは参加者たちによる討論だ。各支部や分会で、それぞれどんな課題に直面し、解決のためどんな対策を立て、行動してきたか。具体的な模索の過程や方法論が共有され、純粋にとても面白く感じた。
例えば、とある地区を管轄する支部で、子育て世帯へのサポートを担当する部署を任された参加者の討論。その地区では組織と距離を置く同胞家庭が多く、イベントを企画しても1家庭しか参加しなかったこともあったという。
しかし活発に活動している他支部の担当者に相談したところ、「対象は必ずいる」と言われ、自分が既存の名簿に頼ってばかりで新しい対象を探す努力もせず、さらにもともとつながりのあった保護者たちのニーズを汲み取ることも疎かにしていたと気づいたそうだ。
いまの世代の子育て世帯はどんなことを求めているのか。対象家庭を一戸ずつ訪問し、顔の見える関係を築き、要望に沿った企画を打ち出したところ、なんと参加率は一気に70%にまで上がった。
加えて、近年注目が集まっているプログラミングと英語を支部で安価に学べるよう計らい、まずは子どもたちが「支部に行きたい」と感じる環境を整備。そんな子どもの姿を通して、かつては「お誘いの電話もいらないです」と付き合いを断っていた保護者の方から「次のプログラミングはいつですか?」と連絡が来るまでになった。
ついには、そうした場に親しんだとある家庭が、子どもを初級部から朝鮮学校に送ることを決めたという嬉しいニュースももたらされた。討論者は、女性同盟の先輩方や青商会が常にバックアップしてくれたとしながら、感謝の言葉で内容を結んだ。
他にも、3人の参加者が自身の言葉でこれまでの経験とそこから得た教訓について語っていた。
討論者に共通していたのは、そして私が(すごいな)と感じたのは、現状を踏まえた上で試行錯誤を重ねる姿勢、ひいてはそれを最後まで続ける責任感だ。運動を進める上では発想や創造力といった手腕も必要だが、何よりも「やり通す」という責任感の有無が問われると思う。
自分の仕事と生活を回していくことだけで精一杯なのに、討論者たちは時間と気力を割いて実際にあちこち奔走しアクションを起こし続けた。中には育ち盛りのお子さんを育てている方もいただろう。
運動の根幹は「人」だが、人間関係の構築、人付き合いというのが結局いちばん難しいものだ。万人に通用するやり方など存在せず、10人いたら10人のつながり方がある。もしも自分だったら、きっと役目を引き受ける勇気すら出ない。
決して楽ではないことを誰に見られずともこつこつとやる。その責任感の強さに、本当にただただ圧倒された。こうした場がなければ表舞台に立つこともなかったであろう方たちの、「コミュニティのために」という思いと日々の奮闘があって、いまも同胞社会はつながり続けているんだなと実感した日だった。
一方で、責任感が生まれた動機として、その一言に収斂されない思いもまたあったはずだ。どうしてそんなに頑張れたのか? 陳腐な質問かもしれないが、責任感が薄い自覚のある私としては、参考までに一人ひとり聞いておきたいなと思った。(理)